3月:ミツマタ
―ウクライナ通信3: 薄黄のおぼろげ、民話の気配―
新型コロナ感染症が5類感染症に移行してから、早や1か月経ちました。私たちの病院でも、コロナ患者さんはちょくちょく受診されます。また三重県内の定点医療機関からの報告では、コロナ患者が少しずつ増加しているとのことですが、幸い今のところ大流行の兆しはみられないようです。
私は週3日、健康診断、人間ドッグの外来診療を行っていますが、受診者には必ず「コロナに罹りましたか?」と訊くことにしています。すると、どうでしょう。50歳以下の若い人たちでは、実に2/3近くの人が罹患したと答えられます。しかも昨年の夏以降は、症状の比較的軽い人が多いのです。若い人の間では、感染により免疫を獲得した人がかなりの数いるものと推測されます。一方高齢者の私たちは、ワクチン接種により大部分の人たちが免疫を獲得しました。こうして日本人のかなりの数の人達が免疫を獲得しているものと思われます。ある感染症に対し、集団の約70%以上の人が免疫を獲得すれば集団免疫が成立し、その感染症の流行を抑止することができると言われます。日本では、新型コロナウイルスに対する集団免疫が成立したのでしょうか。そうであれば、今後よほど強毒な変異株が現れない限り、今の状況が続くと想定されます。そうであって欲しいと望むばかりです。
さて3月、野にも山にも春の訪れを告げる赤や黄や青の色鮮やかな花が次々と咲き、里山はいっぺんに色彩豊かになります。今回は、その中の一つミツマタです。
ミツマタ(三椏)ははジンチョウゲ科ミツマタ属の落葉低木で、中国中南部やヒマラヤ地方が原産地とされています。コウゾ(楮)、ガンピ(雁皮)とともに和紙の三大原料として古くから利用されています。朝ドラで人気の牧野富太郎博士は「ミツマタは、枝が3本ずつ分かれているからこの名が付いた」と述べ、漢字で三叉とも書きます。 |
3月に入って、津市南西部の美杉町の山林に群生するミツマタが満開だというので、日曜日に2度ほど車で出掛けました。美杉町は旧一志郡美杉村ですが、2006(平成18)年の市町村合併により津市となりました。奈良県の県境まで拡がる広大な面積を有し、その90%以上を占める山林には杉の植林が盛んで、文字通り美しい杉の山々が連なります。私の父もJR名松線の終着駅である伊勢奥津で材木業を営んでいましたので、私も5歳頃まで住んでいました。ところで名松線は松阪駅と伊勢奥津駅を結ぶ鉄道ですが、なぜ名松線と呼ばれるのでしょうか?その理由は次の通りです。太平洋戦争前に名張市と松阪市を結ぶ鉄道、すなわち名松線の工事が始まりましたが、松阪駅から伊勢奥津駅まで完成したところで戦争が激化し中断せざるを得なくなりました。そのため名張市まで繋がっていないのに、名前だけ名松線となったのです。
ミツマタの群生地は、美杉町石名原の山林にあります。私の生家から車で5分ほどの所です。1955(昭和30)年頃に、山林の多目的利用のためミツマタが植えられ、その後、何回か山林間伐作業が行われてきました。2012(平成24)年に大規模な間伐を行ったところ、それまで一部にしか生育していなかったミツマタが一面に拡がり、現在では群生面積は約1.5ヘクタール(15,000平方メートル)ほどになっているとのことです。
ミツマタの花は、枝先に球状に密集したつぼみが、外側から順に咲いて行きます。花は下向きに開き甘い香を放ちます。
花には花弁がなく、萼が筒状となった萼筒で構成されます。萼筒の外側は白く、細かい毛が密生しています。一方内側は黄色で、先端部は4裂して反転するため、4枚の黄色い花弁様となりますが、時間の経過とともに白くなります。そのためミツマタの木全体で見ますと、開花した当初は濃い黄色をしていますが、徐々に薄くなり、最後は真っ白になります。
「おしべ」は8本、うち4本は長く、先端の葯は花の外から肉眼で見ることができます。残りの4本は短くて「めしべ」と一緒に奥に潜んでいますので、通常外からは見ることができません。
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それもあってか、美杉村には古い民話や伝説がたくさん残っています。私も子供の頃、こんな話を聞いた覚えがあります。
村のある人が山道の傍らで休んでいたら、目の前を見知らぬ旅人が通り掛かりました。そして遠くに過ぎていきますと、突然背後の大きな山が倒れて来て、覆い被さって来ます。びっくりした村人は必死に山道を逃げ降りたそうです。結局山は倒れて来なかったのですが、それは狐に騙されたのだそうです。
近所の人から聞いたように思いますが、子供心にはずいぶん怖い話でした。
美杉町に在住の坂本 幸(こう)さんは、鳥取県に生まれ、1969(昭和44)年美杉村に嫁ぎ、農業としめじ栽培に従事するかたわら、土地に伝わる昔話や伝説、歴史話などを拾い集め、村の広報誌に連載したり紙芝居や絵本にして語り継いでおられます。
坂本さんの集めた民話や伝承を書きまとめたのが、「美杉村のはなし すこし不思議で少し怖い、古老がかたる民話と伝承」です。本書は「北畠のいくさ物語」「村の不思議と哀しいはなし」「村の信仰と精霊たち」「人々の暮らしと動物たち」の4章から成り、50話が収載されています。「北畠のいくさ物語」には、北畠家にまつわる様々な武将の武勇伝や姫様の物語が語られ、塚原卜伝まで登場します。さらに天災を治めるための生贄伝説などの哀しい話、村の地蔵さんや史蹟、川の淵などに伝わる魔訶不思議な言い伝え、大蛇や竜、狐などの動物が登場する物語などが収められています。 |
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一方、ウクライナにも「てぶくろ」という有名な民話があります。ロシアの絵本作家、エウゲーニー・M・ラチョフ(1906-97年)が1950年に絵本にして出版し、名作として今でも高い評価を受けていて、1965年には内田莉莎子氏による日本語訳が発刊されました。あらすじは次の通りです。
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話としては単純ですが、この絵本には「絵本にとって最も大切なものは何か?」ということが、明瞭に示されています。 1
本文には、7匹の動物が次々と手袋の家へやって来て、「一緒に住ませてください」「どうぞ」という会話が単純に繰り返されているだけで、動物たちがどんな服装をしているのか、手袋の家がどのように変化していくのか、といった情景描写はほとんどありません。しかしラチョフの描いた絵には、動物たちは様々な民族衣装をまとい、貧富や社会的地位の違いを示す服装をしています。また手袋の家も動物が増えるにつれて、土台や窓もでき煙突から煙も上がるようになって、どんどん家らしくなっていきます。子供たちはそれらの絵を見て楽しみ、物語の理解を深め、想像を膨らませます。それゆえ子供たちにとっては素晴らしい絵本なのでしょう。一方、私たち大人は、絵よりも文章を読んで内容を理解します。したがって「たわいもない話」になってしまうのではないでしょうか。「絵本の原点は絵画にあり」という、当然といえば当然のことを改めて深く思い知らされました。
さらにもう一つ、この手袋は国家にも例えることができます。ある国家に、人種や社会的立場の異なる様々な人たちが一緒になって仲良く暮らしています。そこへ犬がやって来て吠え、バラバラにされてしまう、ウクライナにおけるこれまでの歴史や現在起こっていることを想い起こしますと、深く考えさせられるものがあります。
令和5年6月18日
桑名市総合医療センター理事長
竹田 寛 (文、写真)
竹田 恭子(イラスト)
なお先に刊行しました「新理事長の部屋」(三重大学出版会)は、タイトルを「四季の草花 よもやま話―病院待合室の雑記帳―」(22世紀アート社)と改めて電子書籍となり、アマゾンより発売されています。