10月 酔芙蓉(すいふよう)
―酔わすのは、冷酒よりも熱燗でしょうか?―
今年の夏は、度重なる台風や豪雨の到来、さらに予期せぬ地震の発生などにより日本列島は大荒れでした。岐阜の長良川の鵜飼いは、10月15日に閉幕しましたが、5月の開幕以降、大雨や台風の影響で観覧船の運航を中止した日が過去最高の42日に及んだそうです。ほんとうにどこもかも大変でした。ところが一変して10月は静かです。台風の上陸も今のところゼロです。気候は平穏ですが秋晴れの日が少なく、曇で時折小雨のぱらつく日が続きます。中旬を過ぎると気温も下がって来て、朝晩は肌寒いほどになりました。何となく憂鬱で寒々しい日が続き「今年は冬の来るのが早そうだ」「寒さも厳しそうだな」、そんな予感を抱かせます。季節がどんどん深まっていく中で、一人元気よく花を咲かせているのが酔芙蓉(スイフヨウ)です。4年ほど前我が家の狭い庭に植えたのですが、どんどん長して大きくなるものですから、今年の冬にばっさり枝を切り払いました。しかし今年もまたどんどん成長して枝振りも良くなり、たくさんの蕾をつけました。毎朝白い花を咲かせては、夕方になると赤くなって萎んで落ちていきます。そこで今回は、酔芙蓉にしました。
酔芙蓉はアオイ科フヨウ属の落葉低木で、平安時代の 昔から人々に親しまれてきました。アオイ科の植物に は、ハイビスカス、ムクゲ、タチアオイや野菜のオク ラなど花の美しいものが多く、共通する特徴は、後述 しますように「おしべ」と「めしべ」の形にありま す。フヨウ属の代表である芙蓉は花弁が5枚の一重咲 きですが、酔芙蓉はほとんど八重咲きで、稀に一重咲 きのものもあります。酔芙蓉の花は、朝は白いのです が、午後になると徐々に赤くなり、夕方には濃い赤色 になって萎んでしまう一日花です。白から赤くなって いく様を酔客に例えて酔芙蓉と名付けられました。 |
右の写真は、花弁の一部が赤くなり始めた酔芙蓉の花ですが、花弁ばかりで「おしべ」や「めしべ」は有るのか無いのかさえ明らかではありません。しかしよく見ますと花の中央部に「おしべ」らしきものが見えます。そこで花弁をかき分け、中央部を露出してみました。花の底部から太い柱のようなものが直立し、その周囲に先端に葯を付けた「おしべ」の花糸がたくさん付着しています。太い柱の上端から「めしべ」の花柱が伸び、先端には5個に分かれた柱頭がみえます。そして形の不完全な小さい花弁(花弁化したおしべ)がみられます。これがアオイ科の植物に共通する単体おしべ(または雄ずい)です。
単体おしべの断面を右に示します。多数の「おしべ」の花糸の基部は融合して筒状となり、その下端部には子房、上端部から先端に柱頭を持つ花柱が伸びています。花弁化したおしべの付着部が良く分かります。酔芙蓉では、他の八重咲きの花と同様に多数の「おしべ」が花弁化して八重咲きになります。一般に八重咲きの花は実をつけません。「おしべ」や「めしべ」が花弁化して本来の機能が失われるからですが、酔芙蓉では一応普通の形をした「おしべ」や「めしべ」はあるのですが、それらも機能は失われているのでしょうか。
酔芙蓉の花は、朝は白いのに午後遅くなると赤くなるのは、どうしてでしょうか。これは午後になって陽射しが強くなるとアントシアニンという赤い色素の生合成が進むためです。その生合成に影響を及ぼす因子は何でしょうか。紫外線とか温度という説があります。
まず紫外線ですが、午後になると紫外線が強くなりアントシアニンの生合成が進むというのです。そこで、ある朝、幾つか咲いた白い花の一つをアルミ箔で覆って紫外線をカットし、夕方他の花と比べてみました。しかしまったく変わりなく同じように赤くなっていました。紫外線ではないようです。
次に気温です。右の写真は、10月7日(日)の朝と夕方に撮影したものです。朝6個ある白い花は、夕方にはすべて赤くなっています。この日は、最高気温28度、最低気温21度で残暑厳しい日でした。
ついで一週間後の10月14日(日)に撮影した画像を次ページに示します。4日前から曇や雨の日が続き、この日も朝から曇、最高気温も22度、最低気温16度で、寒い一日でした。朝、開いている花のうち、白い花を黄矢印、桃色の花を赤矢印で示してあります。蕾や萎んでしまった花は除きました。黄矢印を付けた花は13個ありますが、そのどれも夕方になっても赤くならず白いままです。一方、赤矢印をつけた8個の桃色の花は、いずれも濃い赤色になって萎んでいます。どうやら気温が影響するようです。
酔芙蓉の花は、気温の高い日には赤くなり、低い日にはならないのです。日本植物生物学会のホームページには、酔芙蓉は気温が25度以上にならないと赤くならないとあります。気温の高い日には、朝白い花は午後急速に赤くなって夕方萎み、翌朝には落ちます。しかし気温が低いと赤くなる速度が低下し、夕方になってもせいぜい桃色ぐらいにしかならず、そのまま翌朝まで開いたままになります。したがって朝から桃色の花は、前日か前々日に開花したものですが、気温が低かったために赤くなれず、桃色のまま翌朝まで残ったものと思われます。私達が朝一番に見る酔芙蓉の花は、残暑厳しい頃は白く開いた花と赤く萎んだ花の二種しかありませんが、寒くなりますと、白い花と赤く萎んだ花、それに桃色の花が加わって賑やかになります。
また萎んだ花も、暑い頃はコロリと簡単に落ちるのですが、寒くなりますと落ちにくくなるようです。
(左)上の2枚の写真の右端部分の拡大写真 |
酔芙蓉と云えば思い出すのが、高橋治(1929-2015年)の小説「風の盆恋歌」です。富山県八尾市で開かれる「おわら風の盆」を主な舞台として、お互い家庭を持つ男女の悲恋を描いた物語です。「風の盆」とは9月の初め二百十日の風の吹く頃、収穫前の稲が台風などの被害に遇わないように祈る祭です。盆と云うから先祖や故人を偲ぶ行事かと思っていましたが、豊作を願う祭なのですね。その割には静かな祭で、哀調を帯びた三味線と胡弓の伴奏に合わせて越中おわら節が淡々と唄われ、編み笠を深くかぶった男衆や女子衆が、うつむき加減に顔を隠すようにして踊ります。初秋の越中の里に哀調漂わせて唄い踊られる風の盆、その幽玄で美しい世界が、小説の中で見事に描かれています。さらに度々登場するのが酔芙蓉です。朝白く咲き夕方赤くなって散っていく一日花、意識下に死を想いながら夢とうつつの間を行き来する二人、その生の儚(はかな)さ、哀しさを象徴しているようです。私はこの小説を読んで初めて酔芙蓉という花を知りました。おはら風の盆は、小説がテレビドラマになったり歌謡曲で歌われたりしてすっかり有名になり、今では3日間で25万人ほどの観光客が集まるそうです。私は「おわら」という言葉を地名だと思っていましたが、その由来は、大笑い(おおわらい)、豊年満作を祈願した「大藁(おおわら)」、小原村の娘が唄い始めたからなど、いろいろな説があるそうです。高橋治の小説でもう一つ印象に残っているのは、1983年に直木賞を受賞した「秘伝」です。鯛釣り名人として世に知れた長崎の漁村に住む老漁師二人が力を合わせて巨大な幻の怪魚、イシナギ釣りに挑戦する物語です。何度も何度も失敗し数年後にようやく成功するのですが、魚がかかった時、握った糸の指先に感じる魚信の強さから、とてつもない大物であると驚愕します。海の底の姿の見えない怪物、糸に伝わる魚信だけが頼りです。その微妙な変化に鋭敏に反応する両漁師の巧みな技と、漁師として一徹に生きて来た二人の人生が美しく描かれています。 私はこの小説を読んで、すぐヘミングウエイの小説「老人と海」を思い起こしました。1952年に書かれたこの小説は世界的なベストセラーとなり、2年後にヘミングウエイがノーベル文学賞を受賞する引き金になったと云われます。主人公は、キューバの漁村に暮らす孤独な老漁師です。長い間不漁が続き、若い漁師たちから除け者にされます。それでも村で唯一心を通わせる少年の励ましもあり、毎日小さな舟に乗ってはカジキ釣りへ出掛けます。ある日、釣り糸に今までに経験したことのない強い引きを感じ、とんでもない大物がかかったようです。
舟はどんどん沖へ引っ張られますが、老人は為されるままにして、魚の疲れるのを待ちます。引っ張り続けられている間、海の底の見えない敵に対峙する孤独な老人の姿が描かれます。三日目、老人の疲労は極限に達しますが、疲れのみえた巨大カジキをついに仕留めます。しかし魚体が大き過ぎて舟には上げられず、舟の脇に結び付けて帰路を急ぎます。ところが鮫が次から次へと襲って来て肉を食べ、カジキはとうとう頭と骨だけになってしまいました。港へ戻って来た老人の舟の側に、巨大カジキの残骸が結び付けられているのを見て人々は驚きます。1958年に映画化されましたが、主演のスペンサートレイシーの一人劇とも云える渋い演技が光りました。
アーネスト・ヘミングウエイ(1899-1961年)は、アメリカを代表する小説家であり詩人です。代表作には、「老人と海」以外に「日はまた昇る」「武器よさらば」「誰がために鐘は鳴る」など多数あります。釣りと狩りを愛し、世界中を旅した冒険好きの作家は、幾つかの自宅を所有していましたが、そのうちの一つがアメリカフロリダ州のキーウエストにあります。キーウエストは、フロリダ半島の先端部より連なる群島の先端の島にあり、アメリカ本土最南端の都市です。南の島ということで興味を抱き、私は二度訪ねたことがあります。マイアミから車で島を連結する橋を渡って走るのですが、向かって右はメキシコ湾、左は大西洋を臨む素晴らしいドライブ・コースで、コバルト・グリーンの海というものを初めて見ました。キューバのハバナに近い南国的な街で、その一角にヘミングウエイの住居があります。彼の書斎に入りますと、窓から熱帯の樹木を覗き見ることができ、ここで「老人と海」が書かれたのかと思うと感慨深いものを覚えました。
ウインスロー・ホーマー(1836-1910年)というアメリカ人水彩画家がいます。アメリカ美術史上最も偉大な画家の一人で、アメリカ水彩画を確立した人です。今から35年ほど前、ニューヨークのメトロポリタン美術館を訪れた時、たまたまホーマーの展覧会が開かれていましたので、この画家の存在を知りました。ホーマーはボストンに生まれ、画家であった母親の影響を受けて画家になります。初めは油絵でしたが、37歳の頃に水彩画に転じ、自然と人間をテーマにした数々の名作を遺しています。
50歳の頃フロリダからキューバを旅しますが、そこで描かれた水彩画は、海や船上で生活する現地の人々を明るく愛情込めて描き、さらに高い評価を受けました。前ページの絵には、キーウエストの亜熱帯の海に浮かぶ二艘の白い漁船と、船上で声を掛け合う漁師の姿がいきいきと描かれています。
若い頃、誰もが憧れる南の島、古希を迎えた今となっては、毎晩、酔芙蓉のように赤くなって布団の中で萎み、最近うるさくなってきた耳鳴りのざわめきの中に、はるか遠くの南の海のさざ波の音が聞こえそうに想いながら、やがて深い眠りに落ちていきます。
今回は酔芙蓉から南の島まで思わぬ展開となりました。
さて病院の話題です。新病院が5月に開院して半年経過しました。最近職員の人達もようやく新病院に慣れて来て、入院棟も外来棟も以前よりはスムーズに稼働しているように思います。開院当初は、実にたくさんの不手際があって、患者さんやご家族の皆様にはたいへんご迷惑をお掛けしました。今でも患者さんや知人などから「あんなこともあった」「こんなこともあった」といろいろ聞かされます。今思いますと、とんでもない状況だったのだと反省しています。不愉快な思いをされた方も少なくないと思います。ほんとうに申し訳ありませんでした。改めて深くお詫び申し上げます。
この間の病院の稼働状況についてお話します。まず外来ですが、一日当たりの平均外来患者数は800~900人で、9月は964人でした。今後は1000人前後の数で推移するものと思われます。一方入院病棟321床の利用率を左上の図に示しますが、入院制限のなくなった6月より順調に増え、8、9月は90%を超えるようになりました。入院病床のうち常時9割が使われているということになり、病院運営上好ましい数字です。
また救急医療に関しまして、この5か月間の救急車受入れ
(ホーマーの絵画はメトロポリタン美術館web siteより |
平成30年10月28日
桑名市総合医療センター理事長 竹田 寛 (文、写真)
竹田 恭子(イラスト)