3月 桃
―雛祭りの稚児たちが見詰める先は・・・―
3月になると寒い中にも陽射しは明るくなり、少しずつ春の気配を感じます。昼の時間も長くなり、夕方5時を過ぎても陽はまだ高い空で輝いています。西の山々はわずかに霞み、耕された田圃(たんぼ)の土が黒く光り、麦の畑では緑鮮やかな新芽が伸び始めました。小鳥達は何を話しているのでしょうか、慌ただしく囀(さえず)りながら飛び回り、早くも現れた羽虫の群が自転車で走る私の行く手を遮ります。
私達人間も含めたすべての生物が、長かった冬からようやく解放され、春の息吹を喜んでいるようです。そして日没の頃になると、冬の間すっかり忘れていた夕焼けの美しいことに改めて驚かされます。しかし夏の夕焼けのように空一面真っ赤に染まるのではなく、西の空の一部がほんのり桃色に変わるのです。ちょうど桃の花の色です。炎天下楽しく遊んだ一日のフィナーレを飾るのが夏の夕焼けとすれば、近づく春の予感にちょっぴり心浮かれるのが早春の夕焼けです。
雛祭りは桃の節句とも云われ、古くから桃の花を飾ります。雛祭りの行われる3月3日は旧暦では4月中頃になり、ちょうど桃の花が満開となる頃だからです。節句とは季節の節目となる日で、宮中では伝統的な年中行事が行われます。一年で五日あり、五節句と呼ばれます(下表)。このうち私達に広く親しまれているのは、3月3日の雛祭り、5月5日の子供の日、7月7日の七夕ですが、これらの日は新暦ではいずれも同じ曜日になるそうです。ちなみに今年は3日とも火曜日です。
五節句
人日(じんじつ) 1月7日 七草粥
上巳(じょうし/じょうみ) 3月3日 雛祭り
端午(たんご) 5月5日 子供の日
七夕(たなばた) 7月7日
重陽(ちょうよう) 9月9日
桃には、果実用の実桃と花を楽しむ花桃とがあり、それぞれ幾つかの種類があります。通常花の咲くのは4月頃ですが、2月になると街の花屋さんやスーパーマーケットでは、桃花桃の切り花が出回ります。雛祭りの飾り用として育てられた早咲きの品種で、矢口桃と呼ばれます。写真のように鮮やかな桃色をした八重咲の花です。早春の陽を浴びて薄桃色に輝く花びらは、風の冷たさを忘れさせてくれます。
陽に透かした花びらは、まるで綿菓子か柔らかな和紙のようで、ふんわりとしたやさしい質感を感じます。
「おしべ」はたくさんありますが、「めしべ」はどこにあるのでしょうか。しょせん実は成らないのですから、無理に探すこともないといえばないのですが。
雛祭りは女の子にとって大切な行事ですが、何時頃、何を起源に始まったのでしょうか。
紀元3世紀頃、中国の三国朝時代では、「季節の変わり目には災いをもたらす邪気が入りやすい」と考えられていました。その邪気を払うため、3月最初の巳の日(上巳)に水辺で禊(みそぎ)を行ったり、盃を水に流して自分のところに流れ着くまでに歌を詠む「曲水の宴(きょくすいのうたげ)」などが行われました。これが遣唐使により日本に伝わったと云われます。一方、源氏物語には「人形(ひとがた)流し」とか「雛(ひいな)遊び」という行事が出て来ます。「人形流し」とは須磨の巻に出てくるもので、三月上巳の日に陰陽師(おんみょうじ)を招いて禊を行い、その人形を船に乗せて流したと記載されています。「雛遊び」は、今で云う「お人形遊び」のことで源氏物語の随所に出て来ます。雛祭りはこの頃既に始まっていたと推測されますが、現在のように1対の内裏雛を最上段に据え、三人官女や五人囃子、随身、衛士などを置き、菱餅や高杯、膳などを供えるようになったのは、江戸時代中期になってからと云われます。
現在、日本には「流し雛」あるいは「雛流し」と呼ばれる風習が残っています。古くから行われているのは、鳥取県用瀬町、岡山県笠岡市北木島、和歌山県粉河町、奈良県五條市などです。なかでも有名なのは用瀬町で、男女1対の紙人形を藁(わら)で作った桟俵(さんだわら)に乗せて川に流します。桟俵とは米俵(たわら)の両端に当てる円い藁のふたのことで、「さんだら ぼうし」「さんだらぼっち」とも云われます。他に木造の舟に乗せて流すところもあります。
日本各地で行われている「流し雛」ですが、共通して底流にあるのは淡島信仰です。
淡島信仰とは、婦人病の治療や安産・子授けに霊験のある淡島神を信仰するもので、淡島神を祀る淡島神社は全国に1000社以上あります。江戸時代には、淡島願人と呼ばれる僧侶または神主の装束をまとった人々が、淡島明神の人形を祀った厨子(ずし)を背負い、淡島明神の神徳を説いて廻ったため、淡島信仰が全国に広がりました。大阪では、淡島願人のことを「あわしまはん」と呼んで人々から親しまれていたと云われます。淡島願人は、婦人たちから人形や縫い針、着物、毛髪などを預かり、雛祭りの日に川や海へ流して、婦人たちの禊を行いました。総本社である和歌山市加太(かた)の淡島神社は、針供養や人形供養の行われることでも有名で、約2万体の人形が奉納されているそうです。
各地の「流し雛」では、「女の病(やまい)にかかりませんように」「帯から下の病を治して下さい」などと祈願し、あわしまさん(淡島神社)へ無事漂着することを祈りながら人形を川へ流すそうです。
この「流し雛」が雛祭りのルーツだとも云われていますが、この風習が始まったのは淡島信仰が全国に普及した江戸時代とされ、仮に源氏物語に登場する「雛遊び」が雛祭りの原型とすれば、時代的に合わないのではないかという説もあります。また源氏物語に登場する「人形流し」との関連性についても、よく分かっていないそうです。
妻の実家に博多木目込み人形の古い雛飾りがあります。それほど大きくはないのですが、 内裏雛、三人官女や五人囃子、随身、衛士すべて揃っていて、いずれも子供の雛人形です。いつも暗い所に置いてあったので顔がよく分からなかったのですが、明るい所でよく見ますと、女の子も男の子も実にあどけない、かわいい顔をしています。子供の健やかな成長を願 って創られたものでしょう。子を想う親の心情が伝わってきます。
先月の19日、桑名市東医療センターにおいて児童虐待に関する講演会が開かれました。
講師は、うめもとこどもクリニック院長の梅本正和先生と、三重県児童相談センター中勢児童相談所所長の鈴木聡先生です。お二人とも児童虐待の撲滅に向けて精力的に尽力されており、児童虐待の生じる要因や、三重県における児童虐待の現状とその撲滅に向けての取組について簡潔明瞭にお話されました。県内で実際に起こった幾つかの事例について具体的に説明していただきましたが、子を持つ親として信じられないような残酷な虐待が行われています。ただし全国的にも県内でも、児童虐待の報告例は年々増えているそうですが、死亡例は減少しているとのことです。それは児童相談所、医療機関、学校、警察などの連携が緊密になり、虐待されている、あるいは虐待の疑われる子供をいち早く発見して適切な処置がとれるようになったからだそうです。せめてもの救いです。
様々な表情を見せる雛人形の子供たち。 何か遠くを見詰めているようにもみえます。 一体どこを見ているのでしょう。 |
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川崎市では、またしても凄惨な事件が起こりました。世界中には、紛争で追われ、貧困に苦しみ、学校にも行けない子供達がたくさんいます。今回の講演を拝聴して、私達大人は、様々な職業の人達が緊密に連携し、地域ぐるみで子供達の成長を見守っていくことが大切なのだと痛感しました。雛人形の子供たちのあどけない顔を眺めていますと、その思いをさらに強くします。
さて病院の話題です。今回は西医療センターで活躍する言語聴覚士(ST)の方々を紹介します。言語聴覚士とは、「ことば」や「聞こえ」、「食物を口から食べること」などに障害を持つ方々の機能回復や発達促進の援助を行う医療・福祉における専門職です。
現在、森千里さんと松田依里子さんの2名の言語聴覚士が勤務し、外来や入院患者さんを対象にリハビリテーションを行っています。主な活動は次の通りです。
① 言語療法(失語症・構音障害に対する評価および訓練)
② 摂食機能療法(摂食嚥下障害に対する評価および訓練)
③ 高次脳機能障害に対する評価および訓練
④ 認知症評価
その他、入院患者さんの栄養サポートチームや脳神経外科の回診への参加、 耳鼻咽喉科での聴力検査・味覚検査なども行っています。
患者さん一人ひとりの症状に合わせてリハビリテーションを行うことはもとより、本人だけではなく家族の方々の言葉にも耳を傾け、メンタルサポートも心がけながら、患者さんの機能改善、家庭や社会への復帰を目指しています。
以下それぞれの活動内容に関して概説します。
① 言語療法は、聴く・話す・読む・書くことが困難になる失語症や、呂律が回りにくくなる構音障害の患者さんを中心として訓練を行っています。
失語症は主に標準失語症検査を行い、その結果に基づき、患者さん個々の症状に応じた訓練計画を立てて遂行し、退院まで支援します。退院後も外来で定期的に訓練を行っている患者さんもみえます。
構音障害においても同様に、評価した後、口腔の運動などの訓練を行い、必要であれば外来通院にて引き続き訓練をしています。
② 摂食嚥下障害の患者さんにおいては、症状の評価を行った後、食物を使用しない間接的な訓練、あるいは食物を使用する直接的な訓練を行います。今後さらに歯科口腔外科の医師や歯科衛生士と協力し、より良い嚥下リハビリを提供していきたいと考えています。
③ 高次脳機能障害は、脳損傷に起因する言語(失語症など)や行為、認知などの障害ですが、症状に見合った各種検査を実施して訓練へと進めていきます。適切な検査法を選択して正確に症状を把握することが、効果的な訓練へつながるものと考えています。
④ 認知症評価に関しては、主に医師の指示のもとで定期的に実施しています。簡易的な検査から現在の状態を詳しく知るための検査まで幅広く行っています。検査は、個室で患者さん個人のペースに合わせ自由会話も取り入れながら進めていきます。
森さんと松田さんは、病棟から外来まで院内の至る所を駆け回わりながら熱心に仕事しています。言葉や食べることで何かお困りのことがありましたら、気軽にお声かけ下さい。今後は三センターの統合に向けて、さらなる技術や知識の向上に努めていきたいと張り切っています。二人のさらなる活躍に心よりエールを送ります。
(平成27年3月)
桑名市総合医療センター理事長 竹田 寛(文、写真)
竹田恭子(イラスト)