名誉理事長の部屋令和6年9月1日付で、竹田寬先生に名誉理事長の称号が授与されました。

名誉理事長の部屋

4月 あおもじ(青文字)

-早春の青空の下、近寄ると白く、離れると黄色く-

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           薄黄色の繭玉(まゆだま)の房のような「あおもじ」の花

 今年3月は寒かったのでしょうか、暖かかったのでしょうか。東京では全国に先駆けて321日に桜が開花しました。平年より5日早く、昨年と同じだそうです。次いで福岡で25日に開花、こちらは平年に比べ2日遅かったとのことです。東海地方ではどうでしょうか。名古屋、岐阜では328日、いずれも平年より2日遅い開花でした。津では43日、東京では前日の2日満開だったそうですが、実に遅い開花です。東京や名古屋、岐阜より三重の方が暖かいのに、どうして桜の開花がこんなに遅いのでしょうか?桜の種類でも違うのでしょうか?私は以前から不思議に思っていました。実は桜が開花するには、春先の気温の上昇とともに、冬の気温の低いことも大切な要因なのだそうです。桜は花の散ったあと、夏から秋にかけて花芽を作ります。冬になりますと休眠に入り生長は止まります。真冬になってさらに気温が下がりますと、厳しい寒さが目覚ましとなって休眠状態から脱します。これを休眠打破と云います。この状態で春先に気温が上昇しますと、桜の花芽は一気に生長します。しかし休眠状態のままですと気温が上がってもつぼみは膨らみません。このように桜には、冬の一定期間低温にさらされて休眠から脱しないと、春になっても開花が遅くなるそうです。したがって一般に暖冬の年は、桜の開花が遅い傾向にあるそうです。海洋性気候である三重県、特に中勢以南の地方では、東京や名古屋に比べ冬の気温が高く、春先の温度上昇も緩やかなため、桜の開花が遅いのです。
 毎年桜の開花予想が始まる頃になりますと、我が家の近くを流れる小川の堤に、決まって薄黄色の花を咲かせる木があります。あおもじ(青文字)です。「あおもじ」はクスノキ科ハマビワ属の落葉中木で、四国や九州、沖縄に分布し、最近では西日本でも見かけるようになりました。よく似た木に「くろもじ」(黒文字)(クスノキ科、クロモジ属)がありますが、ともに枝に芳香があるため、和菓子などに添えられる高級爪楊枝の材料として使われます。枝の色が「くろもじ」では黒く「あおもじ」では青いため、この名が付いたそうです。「あおもじ」は香りの良いことからショウガノキと呼ばれたり、花の姿がそろばんに似ているためソロバンノキ、あるいは卒業式の頃に咲くため卒業花の名もあります。

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    白い花をたくさん付けた「あおもじ」の枝。青空に両手をいっぱい拡げているようです。

 「あおもじ」の花には、「おしべ」しかない「雄花」と、「めしべ」だけの「雌花」があり、雄木には雄花だけ、雌木には雄花だけが咲く雌雄異株です。

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本稿の写真の花は、いずれも雄花です。2月の終わりから3月初めにかけて、枝先にはクリーム色の繭玉(まゆだま)のような袋がぶどうの房のようになってつきます。一見つぼみのように見えますが、実はつぼみではなく総苞と呼ばれるもので、内部に45個の花が入っています。総苞が割れますと、中から順々に花が開きます。

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 花は次のように開いていきます。まず総苞が45枚の総苞片に分割されます。花は真ん中に1個と周囲に4個あって、最初真ん中の大きめの花(頂花)が咲きます。花びらに相当する白い花被片は6枚あり、それぞれの内側に張り付くように「おしべ」が6本、さらに花の中心部にも3本あって計9本の「おしべ」が存在します。それぞれの「おしべ」の先端には、花粉を作る黄色い葯(やく)が4個ずつ付いていて、一つの花に合計36個の葯が存在することになります。頂花の周囲の花も圧排されながらも同じ構造をしていますので、全ての花が咲き揃いますと、花の房全体が「おしべ」の葯で満たされます。花被片(はなびら)の白と葯の黄色が混在するのですが、その配合の絶妙な割合は、花の色調に不思議な効果を生み出します。

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       「おしべ」の葯の黄色と花被片(はなびら)の白から成る「あおもじ」の花

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 上の写真は、冒頭の「あおもじ」の花を小川の対岸より川越しに撮影したものですが、遠くから眺めますと花の色は黄色く見えます。一方近寄りますと白っぽくなります。また下から見上げれば白く、上から見れば黄色になります。白と黄色の混在した「あおもじ」の花、見る人の位置や視線の角度により微妙に色が変化します。黄色は遠くからでも認識しやすい色ですので、離れると白よりも黄色の方が目に立ち、その結果黄色く見えるのでしょうか、あるいは単に陽の光の加減によるものなのでしょうか、興味深い現象です。

 

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花の咲き揃う頃、枝の先端に若葉が現れます。緑の帽子を被った太っちょおじさんやディズニーのアニメ・キャラクターらが並んで「かけっこ」をしているようで、そのユーモラスな姿に微笑みを誘われます。

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 私はこの2年、春先に「あおもじ」の写真を撮影しました。上の写真は、花の開き始めた頃に撮影したものです。早春の青空の下、凛とした大気の中で、むき出しの枝に丸い輪郭の際立った白い花が、たくさん咲いています。何度も何度もシャッターを切りながら、常にある絵のことを意識していました。フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)の油彩画「花咲くアーモンドの枝」です。アーモンドは桜と同じバラ科サクラ属の樹木で、桜によく似た花をつけます。桜より2週間ほど早く花が咲くそうですので、日本では3月頃に咲くことになるのでしょうか。花の形は違いますが、「あおもじ」の咲く姿はゴッホの名画を彷彿とさせます。18902月、ゴッホが37歳でピストル自殺する5か月ぐらい前の作品です。その年の131日、ゴッホの最良の理解者である弟テオ(テオドルス・ファン・ゴッホ:1857-1891)と妻ヨー(ヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲル:1862-1925年)の間に長男が誕生しました。テオは息子に兄の名前にあやかりフィンセント・ウィレムと名付けます。ゴッホは甥の誕生を祝って、テオ夫妻と赤ん坊の寝室に飾るためにこの絵を描きました。その頃のゴッホは、1888年末ゴーギャンのとの共同生活が破綻し耳切り事件を起こして以来約1年間、精神錯乱状態に陥って精神病院などへの入退院を繰り返しながら制作を続けていました。1890年初め頃になって、ようやくゴッホの絵は少しずつ評価されるようになります。1月美術評論家のアルベール・オーリエが、権威ある雑誌にゴッホを高く評価する評論を載せ、またブリュッセルで開かれた20人展では、「ひまわり」、「果樹園」などが好評を博し、「赤い葡萄畑」が初めて400フランで売れました。ゴッホの生前に売れた唯一の作品です。3月にはパリでアンデパンダン展が開かれ、ゴッホの絵はゴーギャンやモネなど多くの画家から高い評価を受けています。そのような上向きになって来た時に可愛い甥の誕生です。よほど嬉しかったのでしょう。ゴッホはそれまでの絵を猛烈な速さで描いていましたが、この絵に対しては、はやる心を抑えて、慎重な筆使いで、精魂をこめて、花や枝の細部まで気を配り力強いタッチで描きました。

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フィンセント・ファン・ゴッホ「花咲くアーモンドの枝」1890年 ゴッホ美術館(アムステルダム)蔵

ゴッホにとっては束の間の充実した時だったのかも知れません。これからの制作にも意欲が湧いていたのでしょう。しかしその後もゴッホの精神状態は安定せず、病院へ入院したり専門医の治療を受けますが、改善しませんでした。そしてとうとう1890727日、悲しい結末を迎えるのです。

 
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テオドルス・ファン・ゴッホ

 一説には、ゴッホは次のような不安を感じながらこの絵を描いたとも云われます。「甥っ子の誕生はほんとうに嬉しいが、これからテオ一家も何かと物入りになるだろう。いつまもテオに頼って絵を描いていられなくなるかも知れない」。それも自殺の一因ではないかというのです。 

 
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ヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲル

 ゴッホが死んで半年後、テオも後を追うように死んでいきます。時に狂人のように荒れ狂うゴッホ、しかしその人間性を信じ、才能を高く評価し、生涯仕送りを続けたテオ、想像を絶する兄弟愛です。また二人の死後、ゴッホ作品を世に送り出し、900通にも及ぶ膨大な数のゴッホの書簡をまとめて書簡集を刊行したヨー夫人も傑出した人物です。

 さて新病院開院まで後1年となりました。そこでこれからは新病院で新たに開始される診療などに関しても、少しずつ紹介させていただきます。
 今回は新しく導入される放射線治療についてです。放射線治療は、手術、抗がん剤治療、免疫療法などと並んで、がん治療には欠かすことのできない大切な治療法です。
 放射線照射による「がん」の治療には、次のようなものがあります。
1)初期の喉頭がんや子宮がんなどでは、放射線治療だけで完全に治すことができます。しかも手術にように「がん」に侵された患部を切除しませんので、臓器機能を保存することができます。例えば喉頭がんでは治療後も普通に話すことができます。
2)乳がん、食道がん、大腸がんなど多くの「がん」では、手術の前後に放射線や抗がん剤治療が併用されます。手術の治療成績を向上させるだけでなく、手術のできない進行がんに対しても、病巣を小さくして手術可能とする効果が期待されます。
3)臓器が「がん」に侵されますと、しばしば強い痛みを生じます。そのような場合にも局所へ放射線を照射することにより疼痛を軽減させることができます。
4)高齢や全身状態が悪いために手術のできない人のがん治療に利用できます。

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 右の図をご覧ください。三重県内の各地域における放射線治療のできる施設の分布を示します。ほとんどの地域に治療施設はありますが、残念ながら桑名・員弁地域には一施設もありません。放射線治療を行おうと思ってもできないのです。それにより医療上どのような不都合を生じているか、乳がんを例にとって説明致します。
 

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 新規導入される放射線治療装置

 かって乳がんの手術と云えば、進行がんが多かったこともあって乳房を切除する手術が主体でした。ところが最近では、マンモグラフィなどによる乳がん検診が普及し、早期乳がんで発見されることが多くなりました。早期がんであれば、乳房を切除せず「がん」だけを取り除く乳房温存術が行われ、90%以上治癒します。この場合、手術後にリンパ節転移を防ぐために放射線照射が必要なのですが、桑員地区ではできません。四日市か愛知県の病院へお願いしなければならないのですが、それなら最初からそちらで手術を受けようとする患者さんが多くなるのも当然です。新病院では、そのような状況は解消されます。「桑員地区で『がん』治療を完結できるようにしよう」、新病院の大きな目標の一つです。いよいよその第一歩が始まるのです。

平成29年4月

桑名市総合医療センター理事長 竹田 寛   (文、写真)
竹田 恭子 (イラスト )

 

 

 

 

 

 

 

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