名誉理事長の部屋令和6年9月1日付で、竹田寬先生に名誉理事長の称号が授与されました。

名誉理事長の部屋

12月:残照

12月:残照

― 冬の色はどんな色、光の色? 翳りの色? ―

冬の日の午後遅く、傾きかけた陽に照らされた森には、背後の森の黒い影が落ちかかります。真っ青な空には早くも月が出て、一瞬、時間が止まったかのような静けさを感じます。

 5月の連休も終わりました。今年は、新型コロナ感染症が5類感染症に移行されて最初のゴールデン・ウイークということで、全国各地の行楽地や観光地は、多くの人で賑わいました。またコロナ蔓延時には休止されていた伝統行事やお祭りも復活されました。桑名市多度町にある多度大社の上げ馬神事は、南北朝時代に始まったといわれる由緒ある神事です。 多度大社の参道横にある急な坂路を人馬一体で駆け上がり、最後に2mほどの断崖を一気によじ登って、 崖を越えた馬の数でその年の豊凶を占います。昨年も行われましたが、骨折した馬を殺処分したことで、動物虐待との批判が国内外から押し寄せられました。それを受けて今年は、坂の勾配を緩やかにし最後の障害も取り除いて行われ、全頭怪我もなく無事登り切ったそうです。ほんとうに良かったですね。伝統行事のあり方も、時代とともに変化するものです。
 季節はすっかり初夏、里山にも街の公園にも色とりどりの草花が咲き揃い、一年で最も爽やかな季節を迎えました。そんな折、今回は冬景色の話です。季節外れの話題で誠に心苦しいばかりですが、しばらくの間お付き合いいただきますようにお願い申し上げます。

ついさっきまで青空でしたのに、もの凄い勢いで黒い雲が拡がって来ました。まさしく冬の天気です。遠くの鉄塔も、高速道路の街路樹も、近くのすすきの穂も真っ黒い影となりました。


再び雲が晴れて夕暮れ時、高速道路わきの大きな冬木立には、カラスが三羽隠れるように体を休めています。空高く飛ぶ一羽はどこへ向かうのでしょうか。山の古巣へ帰るのでしょうか。


山道を自転車で走っていて、ふと出くわした風景です。手前の影から続く細い道は、陽に照らされた林に沿って奥へ伸び消えていきます。光と影のコントラスト、西洋の古典的な風景画を見るようで、何となく懐かしい気分となり、シャッターを切りました。


こちらも自転車で走る時、いつも見る風景です。風のない冬の日、小さな川の水面は、弱い陽光を 受けて鏡のように光ります。川の両岸には切り立った崖と低い枯草の群、真っ黒い影となっています。中央の橋は静かに押し黙り、かなたには冬の山々が霞んでいます。


冬の連山は、どうして墨絵のようになるのでしょうか。天気も良く、まだ陽も残っているのに・・・。手前には、田んぼの畔に沿って、すっかり海老茶色になった枯草が拡がります。


私は、この畔に沿う枯草の柔らかい海老茶色が好きです。空気の澄んだ寒い日にも、陽の光を受けると明るく輝き、冷えた体も心も温めてくれます。冬の色で一番好きな色は?と訊かれたら、この海老茶色をその一つに挙げます。


墨絵のような冬の山々の麓では、小さな村落の屋根が光ります。櫓のようなものも見えます。手前には、 海老色の田圃と、耕されて黒々となった土の田圃が拡がります。そして一番手前の麦畑では、緑の美しい若い苗がどんどん育っています。もうすぐ春がやって来ます。

 

 2023年もたくさんの方々が、惜しまれながら亡くなられました。作家で亡くなられた方が多く、大江健三郎氏(88)、森村誠一氏(90歳)、伊集院静氏(73歳)、永井路子氏(97)、平岩弓枝氏(91歳)、畑正憲氏(87)、山田太一氏(89歳)、アニメ作家の松本零士氏(85歳)などです。一方、音楽方面では坂本龍一氏(71)、谷村新司氏(74)、矢代亜紀氏(73歳)、政治の世界ではヘンリー・キッシンジャー元米国務長官(100歳)、扇千景氏(89)、他に創価学会名誉会長の池田大作氏(95歳)、トヨタ自動車の名誉会長豊田章一郎氏(97)、タレントの財津一郎氏(89)、広島カープの北別府学氏(65歳)など、数え上げれば切りがありません。なかには私より年若い方もみられます。皆様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。その中で私にとって特に感慨深い人の一人は、山田太一氏です。

 山田太一氏は1934年東京浅草に生まれ、小学生の時、戦局の悪化により神奈川県へ強制疎開します。早稲田大学教育学部へ進学して同窓の劇作家・寺山修司氏との親交を深めます。卒業後松竹へ入社、木下惠介監督に師事して映画やテレビドラマの多くの名作の製作に携わります。1965年に退社してフリーの脚本家となり、テレビドラマを中心に、今でも伝説となっているような多数の名作を世に送り出しました。民放の「岸辺のアルバム」(1977年)「想い出づくり」(1981年)「不揃いの林檎たち」(1983~93年)などは人気番組で、ご覧になられた方も多いことと思います。またNHKでは、「男たちの旅路」(1976~82年)、大河ドラマ「獅子の時代」(1980年)、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)を主人公にした『日本の面影』(1984年)など、高い評価を受けた作品を制作しています。2023年11月29日、老衰のため逝去、享年89歳でした。

 人気を博した「岸辺のアルバム」や「不揃いの林檎たち」が放映された頃は、私にとって仕事の最も忙しい時期で、ドラマの名前は知っていましたが、ほとんど観る余裕がありませんでした。私にとって山田太一氏との出会いは、氏の小説「異人たちとの夏」を原作として、1988年大林宜彦監督により創られた同名の映画を観た時でした。今から10年ほど前でしょうか。現実の人間世界と霊界との間で繰り広げられる物語ですが、大林監督独特のファンタジー性あふれる作品に仕上げられており、非常に感動したのを覚えています。今回山田氏の訃報に接し、また「異人たちの夏」が昨年イギリスでも映画化(アンドリュー・ヘイ監督)されたことを知り、原作を読んでみることにしました。あらすじを記します。

 主人公原田は48歳の人気放送作家、最近妻と離婚し子供とも離れ、マンションで一人暮らしています。離婚のいざこざで気分の滅入っていたある晩、同じマンションに住むケイという若い女性が、シャンパンの瓶を持って訪ねて来ました。見ず知らずの女性の突然の訪問に、原田は戸惑いますが「忙しいから」と言って冷たく追い返します。数日後、原田は地下鉄に乗ろうとしますが、ふと幼い頃に住んでいた浅草へ行きたくなり向かいます。浅草で寄席小屋へ入りますと、観客席には遠い昔に亡くなった父親が座っています。原田が12歳の時、父(39歳)が母(35歳)を自転車の荷台に乗せて走っている最中に、車にはねられ二人とも死亡したのでした。「まさか父親が?」と眼を疑いますが、「家へ来いよ!」と親しく声を掛けられ、ついて行きます。家には亡くなった頃の若く美しい母が待っていました。自分より10歳前後若い両親ですが、でも子供の頃やさしかった両親に会えたことが嬉しく、一緒にビールを呑み食事をします。年若い母親は年上の原田を子供扱いし、「このタオルを前へ敷いて。こぼすから敷くの」「ほら こぼした。いってるそばからこぼしてるじゃないの」「さっさと服を脱いでランニングになりなさい」とか、まるで子供を諭す母の言葉です。原田にはそれが妙に嬉しく心和んでいきます。

 

 それから足繁く通うようになり、子供の頃を思い出しながら父親とキャッチボールをしたり、三人で花札で遊びます。年若い両親と一緒にいると、原田は今まで片意地張って必死に生きて来た自分の魂がどんどん溶けていき、童心に帰っていくような気持ちになります。 

親子のキャッチボール

 一方、原田はケイとも親交を深め、やがて二人は恋に落ちます。ケイはほんとうに原田を愛し、親身になって原田の体調を心配します。なぜならこの頃の原田は頬こけて目の下には隈ができ、みるみる衰弱していたからです。実はケイも、シャンパンを呑もうと誘われて断ったあの日、ナイフで自分の胸を7か所刺して自殺した幽霊だったのです。幽霊と交流することで体が衰弱していく、友人からそれを知らされ、別れの時が来ました。両親とは最後に浅草へ「すき焼きを食べに出かけますが、その時交わされた会話には、「お互いを想う」親子の情愛が切々と伝わって来ます。その抜粋です。「私たちなしで、よく36年もやって来たね」「お前に逢えてよかった」「お前はいい息子だ」「あんたをね。自慢に思っているよ」「(ぼくは)いい亭主じゃなかったし、いい父親でもなかった。お父さんやお母さんの方が、どれだけ立派か知れやしない。暖かくて驚いたよ。こういう親にならなくちゃって思ったよ。」「行かないで」「ありがとう。どうも、ありがとう。ありがとうございました。」やがて両親は、「さよなら」「あばよ」と言って静かに消えていきます。「すき焼き」にはほとんど箸をつけずに・・・。一方ケイとも分かれますが、最後は恐い姿となり男のような声で原田をなじり、胸から鮮血を流しながら天へ消えていきます。
 小説は原田の言葉で終わります。「さよなら、父よ母よケイよ。ありがとう。」
                      山田太一著「異人たちとの夏」(新潮社)より

 この物語には3人の幽霊が登場します。まず両親、主人公より年若い設定になっています。子供の頃やさしかった両親―きっぷの良い寿司職人の父親と「あっけらかん」とした美しい母親―に巡り合えたことが、仕事でも私生活でも深い悩みを抱える中年男性にとって、どれだけ救いになったことでしょう。子供にとって両親とは、少し物心のついた小学高学年の頃が、最も頼もしく美しい存在に見えるのではないでしょうか。父は生き生きとして忙しく働き、母はやさしく何でも受け入れてくれます。子供が成長して思春期になりますと自我が芽生え両親像は変化しますし、幼い頃は何も分かりません。最も美しく輝く若い頃の両親と、悩める中年の息子を巡り合わせたところに、この小説の面白さがあるように思います。
 もう一人の幽霊、ケイに関しましては、よく分かりません。確かにケイがいなければ、話は平板になってしまいそうな気がします。しかし、シャンパンを一緒に呑むことを断られただけで、なぜ自殺したのか、あれだけ愛した原田をどうして最後は激しくなじって消えていったのか、よく理解できませんでした。

 原作を読んだ後、もう一度大林監督の映画を見直しました。印象は10年前とほとんど変わりませんでしたが、原作と比べますと、最後にケイが消えていく場面などはオカルト風で、やや脚色過剰な感じがしました。それには興行成績を重んじる松竹の思惑もあったそうです。

 大林映画では、原田と両親が一緒に過ごす居間は昼でも薄暗いのですが、大きなガラス窓があり、開け放たれた窓から夏の太陽に照り返る明るい庭の草花が見えます。画面構成を考えますと、画面の両端は暗い壁で幅をもって区切られ、中央には大きな窓から覗く戸外の明るい風景と、その下に卓袱台がひとつ畳の上に置かれています。この構図は、小津安二郎映画に通じるものがあるように思いました。
 この暗い居間で3人はビールを呑んだり食事をするのですが、窓の外は現実の世界、内側は幽霊と人間とが共存する異界ということになるのでしょうか。
 

原田家の居間

 両親役を演じた片岡鶴太郎さんと秋吉久美子さんの好演が光り、上野の下町の昔懐かしい風景の中で繰り広げられる素朴な家族愛、その美しさ、やさしさに誰もが目頭を熱くしたのではないでしょうか。                              

 また映画では、プッチーニのオペラ「ジャンニ・スキッキ」の中のアリア「大好きなお父さま」が随所に流れ、エンディングでは声高らかに歌われます。映画にプッチーニの曲が登場するのは新鮮で「さすが、大林監督!」と感心したものですが、実は既に原作に記されていて、山田氏の好みであったことが分かりました。山田氏にはたいへん失礼いたしました。

 

 さてSunPanSaの会の話です。既に報告致しましたように、2023(令和5)4月から9月までウクライナから上肢切断の傷病者3名とその家族2名を松阪市へ受け入れ、傷病者の義肢作成とリハビリ治療、家族も含めた5人の生活支援を行いました。傷病者の治療は無事終わり、全員帰国されました。そのための資金を調達するために、2023331日から526日までの約2か月間、READYFORによるクラウドファンディングを実施し、最終的には660人に及ぶ多くの皆様から13,142,553円のご支援をいただきました。温かいご支援をいただきました皆様方には改めて深く御礼申し上げます。

 

 

 右表には、ウクライナ傷病者リハビリ支援事業の収支を示しますが、総費用11,794,200円のうち10,684,895円をクラウドファンディングでの寄付金にて充当させていただきました。
 本事業の経緯や収支などの詳細につきましては下記のweb pageをご覧ください。

https://readyfor.jp/projects/sunpansa01/accomplish_report 

ウクライナ傷病者リハビリ支援事業の収支報告書

 その後、次の傷病者の方を受け入れるためにウクライナ政府や支援団体と交渉を重ねていましたが、最近「傷病者の治療は遠い日本よりも欧州各国で行うから、それ以外の物的支援をして欲しい」という連絡が入りました。特に現地では、多数の人を爆撃から守るシェルターなどが不足しているそうです。そこで当法人も方針を転換することとなり、現在どのような物的支援を行うか検討しているところです。

 
 ただ以前より中古救急車を贈呈して参りましたので、この事業は継続していくことになりました。右の写真は、今年314日に松阪地区広域消防組合から提供していただいた中古救急車の贈呈式の写真です。これでウクライナへ贈呈した救急車は 5台目になります。
この事業の詳細は次のweb pageをご覧ください。 

https://sunpansa.com/ambulance/

松阪地区広域消防組合寄贈の中古救急車贈呈式

 これからも何らかの形で支援を継続して参りますので、どうぞよろしくお願いいたします。

(「理事長の部屋」もこの12月号で一区切りとし、2022年、2023年の2年間に連載しました分をまとめて製本作業に入ります。次回は20244月号から再開いたします。)

                              令和657

              桑名市総合医療センター理事長  竹田  寛 (文、写真)                  
                              竹田 恭子(イラスト)

 

 

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