9月 ひまわり(向日葵)
-ウォーリーを探せ、誰かがこちらを見ている-
今年の夏は、ひときわ暑いですね。連続する猛暑日、晴天が続き一滴も雨が降りません。炎天下少し歩くだけで、燃えるような陽射しが汗ばんだ肌をチクチク刺します。おまけに夜はリオ・オリンピックの熱戦報道が続き、昼も夜も賑やかで暑い夏です。
夏の花と云えば、「ひまわり」です。燃える太陽に向かって大きな花を咲かせる「ひまわり」には、清々しいものを感じます。上の写真は、昨年、近所にある「ひまわり」畑を撮影したものです。それほど広い畑でもないのですが、比較的小柄の「ひまわり」がびっしり並んで咲いています。ファインダーであちこち覗いてみても、余りにもたくさんの花が同じ方向を向いていて、どの花に焦点を絞って良いのか分かりません。ちょうど今から30年ほど前、「ウォーリーを探せ」というゲームが流行しました。よく似た洋服を来た多数の人物の中から、ウォーリーを探し出すもので、元々はイギリスで子供向けの絵本として出版されたものだそうです。満開の「ひまわり」畑は、まさに「ウォーリーを探せ」状態です。
しかし何度も繰り返しファインダーを覗いていますと、咲いている「ひまわり」の角度は、実はそれぞれ微妙に違っていて、しかもそのうちの一つが、真正面にこちらを向いているのに気付きました。さらにどの方向へカメラを向けてみても、どれか一つの花は必ずこちらを向いています。まさしくウォーリーがいるのです。これは驚きでした。もう一度冒頭の写真をご覧ください。画面の中央にある花が真正面にこちらを向いています。あたかもそれは、誰よりも早くカメラの存在に気付いた少女が、不思議そうにこちらへ目を向けているようです。あるいはこちらのことが気がかりで、心配そうに見詰めていてくれるのかも知れません。「ひまわり」は心やさしい花なのです。私は花言葉には余り関心がないのですが、この原稿を書いている最中にネットで調べものをしていて、ひまわりの花言葉に「私はあなただけをみつめる」というのがあるのを知りました。なるほど「ひまわり」の花を見ていると、見つめられている気がするのでしょうか。面白いものですね。
下の写真は「ひまわり」畑を別の角度で撮影したものですが、さてこちらを見ているのは、どの花でしょうか?
「ひまわり」は北米原産の一年草で、菊やタンポポと同じキク科に属します。漢字では向日葵と書きますが、日輪草(にちりんそう)、日車(ひぐるま)とも呼ばれます。太陽を追いかけるようにして花の向きが変わるために、このような名前が付けられたのでしょう。しかし実際は太陽を追いかけるのは若い茎の先端部分の葉だけであり、蕾ができ花が咲き始めるとまったく動かなくなります。そのためでしょうか、太陽に背を向けて咲いている「ひまわり」をよくみかけます。
大きな花は一つの花のように見えますが、実はたくさんの小さな花(小花)が集まってできています。このような構造を頭状花序と呼び、キク科植物の特徴です。小花には二種類あり、外側の花びらのように見える部分が舌状花、中央の芯の部分に密集している小さな筒状の花を筒状花と云います。下図に筒状花と舌状花の模式図を示します。筒状花では蕾が膨らんで花弁が開き始めますと、まず「おしべ」の葯が伸びて先端に花粉をつけます。虫達によって花粉が持ち去られますと、次に葯に取り囲まれている「めしべ」の花柱が伸びて来て先端の二分した柱頭が現れ、受粉活動を行います。このように最初に「おしべ」、ついで「めしべ」が生長することにより自家受粉を防いでいるのですが、これを雄性先熟と云います。このような筒状花における生長は、花の芯の部分の外側から始まり順次内側へ進行していきますので、外側の方ほど花の成熟が早いということになります。舌状花でも同じような経過をたどります。
「ひまわり」と云えば、やはりゴッホでしょう。フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890年)は生涯11点の「ひまわり」の絵を描いています。花瓶に活けられたのが7点、テーブルの上に置かれたのが4点です。花瓶の「ひまわり」はいずれの絵も有名ですが、描かれている「ひまわり」の数は異なっていて、3本と5本が1点ずつ、12本が2点、15本が3点になっています。15本描かれている作品のうち1点は、1987年に日本の生命保険会社が当時のレートにして約58億円で購入したことで有名になりました。現在は東京新宿にある東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館で常設展示されています。日本には戦前、芦屋に1点あったそうですが、戦争で消失してしまったとのことで、「芦屋のひまわり」と呼ばれています。それゆえ現存しているのは6点ということになります。
テーブルに置かれた「ひまわり」の絵はいずれも、花の時期は終わり実を結ぶ頃の「ひまわり」を描いていますので、「結実期のひまわり」と呼ばれています。描かれている花の数は、2本が3点、4本が1点です。ニューヨークのメトロポリタン美術館にはそのうちの 1点が所蔵されていて、30年ほど前、実際にその絵の前に立ったことがあります。青い背景に花びらの萎れた「ひまわり」が2輪、うち一輪は後ろ向きに描かれています。対象を忠実に描写しながら、大胆な強調と省略が施されています。複雑に曲がりくねり重なり合った黄色の花びら一枚一枚の輪郭がていねいに描かれ、不安定な花びらの形が明瞭になったことによる安堵感を覚えます。ゴッホの習作と云われていますが、テーブルの上に何気なく置かれた2輪の枯れた「ひまわり」を、力むことなく穏やかな筆致で描いているように思われます。苦しいことの連続で、しばしば狂気に襲われたゴッホの日常生活にあって、この絵を描いている時、束の間でも安らかな気持ちになっていたのではないかと想像しますと、何となくほっとして、じわじわと心あたたかいものが込み上げて来たことを覚えています。
私達の世代にとって「ひまわり」と云えば、イタリア映画「ひまわり」を忘れることができません。1970年に公開されたもので、ヴィットリオ・デ・シーカ監督、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが夫婦役を好演しました。第二次世界大戦でソ連との戦争により運命を引き裂かれた夫婦の悲劇を描いた作品で、ヘンリー・マンシーニの主題曲も大ヒットしました。映画の冒頭に地平線に沿って無限に拡がる広大なひまわり畑が登場します。満開の「ひまわり」は風にそよそよ揺れています。映画の中ほど、戦争が終わりソ連の戦場で行方不明になった夫を探しに来た妻は、かって夫が争った戦場の跡に広大なひまわり畑が拡がっているのを目にします。そして次のようなナレーション(字幕)が入ります。
ご覧なさい。ひまわりにもどの木の下にも麦畑にも、イタリア兵やロシアの捕虜が埋まっています。
無数のロシアの農民も、老人、女、子供・・・
この3人による映画は他に「昨日・今日・明日」「ああ結婚」があり、コメディ・タッチで人生の哀歓を見事に表現し、人気を博しました。
初めに「ひまわり」はこちらを見ていると書きましたが、見方を変えますと、遠くを見ている様にも見えます。昨年一面満開で賑やかだったひまわり畑は、今年の夏はすっかり刈り取られ、端の方に一列並んで咲いているだけでした。そのひまわり畑は道路に対して人の背丈ほど高い所にあり、近寄りますと「ひまわり」の花の列を下から見上げるようになります。すると「ひまわり」の花は、高台に立ってはるか遠くを眺めているように見えます。その時ふと思い出したのがイースター島のモアイ群像でした。今から50数年前私が大学生の時、トール・ヘイエルダール(1914-2002年)の「コン・ティキ号探検記」(水口志計夫訳、河出文庫)を読んで感動し、南太平洋のポリネシアの島々に興味を抱きました。
ヘイエルダールはノルウェーの人類学者で、古代ペルーの人々は太平洋をパルサ材で作った筏(いかだ)で渡り、ポリネシア人の祖先になったという仮説を立てました。それを自ら実証するために、古代人と同じような筏を作ってコン・ティキと名付け、5人の仲間とともにペルーを出港しました。102日目にポリネシアの島へ到達しますが、その間の痛快な航海記です。私はこれを読んでポリネシアにイースター島(現地語名でラパ・ヌイ)があり、そこにはモアイと呼ばれる巨大石像群のあることを知りました。モアイに興味を抱いた私は、イースター島に関する書物を何冊か読みましたが、その時いつも不思議に思ったのは「イースター島のモアイは、なぜあんなに哀しそうな顔をして、遥か遠くを見上げているのだろう」ということでした。それ以来一度は行ってみたいと思いながら、50年を経た今も実現していません。
遠くを見上げる「ひまわり」を見ていて、もうひとつ思い浮んだのが、「Day after day, alone on a hill」(来る日も来る日も、丘の上に一人)という歌い出しで始まるビートルズの「The Fool on the Hill」という曲です。 メロディの美しいバラード調のこの曲は、ヴォーカルが素晴らしく、間奏に入るリコーダーの音色も何となく哀調を帯びていて、私の好きな曲の一つです。歌詞の内容は、おおよそ次のようになります。
毎日、風変わりな男が一人、
静かに丘の上に立っている。
誰も彼のことを知ろうとしない。
彼も自分のことを語らない。
ただ彼の目には、
太陽が沈んで行くのが見える。
地球が回っているのが見えている。
キリスト教の「天動説」に対し「地動説」を唱えて処刑されたガリレオ・ガリレイ(1564-1642年)のことを歌ったものと云われています。そうかも知れませんが、私は、現在我々と時代を共有する「変人と思われながらも、時代を達観し、その遥か先を見据え、物事の本質を深く理解し、時代を先取りする人」でも良いのではないかと思います。あるいはガリレオを介して現在にも同じような天才のいることを暗示しているのでしょうか。ひょっとするとそれはビートルズそのもの、もしくは彼らの理想とする姿なのかも知れません。
さて病院の話題です。今回は7月30日に桑名市民会館で行われました桑名市小児在宅医療講演会に関して、その企画を担当されました当院小児科部長の森谷朋子先生に、講演会の概要や、今後の当院としての取組などに関しまして述べていただきます。
今回は三重県、三重大学、桑名市の共催で、愛知県や岐阜県の医療機関の小児の在宅医療に対する先進的な取り組みを学ぶ貴重な講演でした。当日は桑名市にお住まいの医療的ケアを必要とする小児患者さんとご家族も来場されていました。NICU(新生児治療室)や大学病院などで治療を受けて、酸素吸入や栄養剤の注入をしながら、自宅療養に移行する患者さんは、毎年増加しています。自宅では、ご家族とくにお母様が中心的役割を担っていて、訪問看護を受けながら24時間体制で、毎日子供さんのケアをされています。このような小児在宅医療を、地域でサポートする事が必要になってきます。ご家族の休息や家庭行事のために、患者さんを一定期間お預かりする事をレスパイトと呼んでいます。三重県では入院や日帰りのレスパイト施設が、中勢地区に限られています。また県外のレスパイト施設の利用は難しいのが現状です。北勢地区にレスパイト施設を新しく作る事は、今後の大きな課題です。
今回の講演会では、最初に名古屋市南区の大同病院の小児在宅支援活動を伺いました。NICUや大学病院で治療を受けて自宅へ退院する前に、大同病院に転院される患者さんがいます。自宅療養に向けて、保護者へケアの説明や、訪問医や訪問事業所と連絡会議を行って、家庭のサポート体制を整える支援をしています。また事前に登録された在宅療養児のレスパイトとして、平日のみ入院の受け入れもしています。小児科医が14名の中核病院だからこそ可能な支援体制です。
次に岐阜県多治見市民病院の、行政からの委託モデル事業を伺いました。平成27年4月から3年間補助金を得ながら、平日と土日の週4日間日帰りレスパイトをしています。地域の在宅支援グループ「みんなの手」が育成したスタッフを臨時職員に採用して、患者さんご家族のニーズに応えています。
最後に岐阜市の折居クリニックの障がい福祉施設「こぱんだ」のユニークな取り組みを伺いました。やはり平成26年4月から行政の補助金を得ながら、平日の日帰りレスパイトと週2日の児童発達支援をしています。施設には看護師に加えて、保育士や理学療法士がいて、多様な医療福祉サービスをしています。
現在、当院は新病院の建設を進めているところです。これらの医療機関の取り組みを参考にして、まずは日帰りレスパイト施設を新病院に作りたいと考えています。そのために行政と連携しながら、患者さんとご家族が地域で安心して暮らせるように、地域のニーズに応じた医療を実践して参ります。
桑員地区では、小児の救急医療と同時に、慢性疾患に対する医療体制を整備することが求められています。当院では森谷朋子先生を中心として、レスパイトをはじめとした小児の在宅医療、さらには小児慢性疾患に対する診療を展開していきたいと考えています。森谷先生も張り切っています。どうぞよろしくご支援のほどお願い申し上げます。
桑名市総合医療センター理事長 竹田 寛 (文、写真)
竹田 恭子(イラスト)
今回掲載しましたゴッホ「ひまわり」の画像ファイルは、メトロポリタン美術館のホームページからダウンロードしました。