10月:藤袴とアサギマダラ
10月:藤袴とアサギマダラ
―海を渡るアサギマダラは謎の蝶、迎え入れる藤袴も不思議な花―
大惨事に始まった今年も早や2月となりました。能登半島では、状況は改善しつつあるものの、今なお不自由な避難生活が続いています。私達の病院からもDMAT支援隊が、発災直後から交代で現地の応援に駆け付けています。3番目の支援隊に参加し最近帰って来た医師の話によりますと、現地で残っている人のほとんどは高齢者だそうです。高齢の人たちは、どうしても故郷や我が家を離れたがらず、親しい人達が集まって避難所以外の場所で共同生活していることも少なくないそうです。若い人が少ないため復興も進みません。今回の災害の最大の特徴は、高齢化率の高い地域で発生したことです。能登半島2市2町(珠洲、輪島、能登、穴水)の高齢化率は49%で、阪神・淡路大震災で震度7以上を観測した7市町の13%(当時)、東日本大震災で被害の大きかった岩手、宮城、福島3県の24%(当時)に比べ格段に高いことが分かります(朝日新聞2月5日付記事)。万一、南海トラフ大地震が発生しましたら、三重県でも南の伊勢志摩や紀州地域では、同様の状況になります。私たちは、高齢化率の高い地域での災害対策について、改めて詳細に検討する必要があります。
そうこうしているうちに私はコロナに罹りました。1月下旬の週末、軽い咳と鼻水が出ましたので、「いつもの風邪かな?」と思っていました。月曜の朝出勤し、念のため検査を受けたところ、コロナ強陽性と判定されました。急遽帰宅し、それから1週間自宅で過ごしましたが、ほとんど無症状でした。私が発症してから3日後に妻が咽頭痛、軽い咳、微熱を訴え、てっきり「私のコロナがうつった」と思い、それから3日間連続してコロナの検査を行いましたが、いずれも陰性でした。妻はコロナではなかったのですが、症状はコロナの私より重かったのです。最近のコロナは症状の軽いことが多く、症状で云えば重い順からインフルエンザ、風邪そしてコロナになるかも知れません。その意味では、コロナにかかっても以前よりは楽なのですが、高齢者は要注意です。脳血管疾患、心臓病、腎臓病、糖尿病などの持病を有する高齢者がコロナに罹りますと、持病の悪化によりしばしば死に至ることもあります。しかも私のように症状がほとんどない場合もありますので、くれぐれもご用心ください。
さて10月、秋の澄んだ空気に吹く風が涼しさを増す頃、里山のあちこちではフジバカマ(藤袴)が咲き始めます。藤袴は、長い旅をする蝶アサギマダラの好む植物ですが、三重県はアサギマダラの秋の南下コースに位置するため、県内の幾つかの地域では藤袴が育てられています。津市美杉町では、至る所に藤袴畑があり、アサギマダラを呼び寄せて地域おこしをしようと頑張っています。隣の町一志町波瀬にも藤袴畑があり、10月下旬のよく晴れた土曜日、夫婦で出掛けました。波瀬の藤袴畑は、町から少し外れた川沿いにあり、それほど大きくはありませんが、入口では麦わら帽子のやさしいおじさんが、笑顔で迎えてくれました。畑の世話をしていただいている方です。藤袴の花は今まさに一面満開、秋の澄んだ光を受けて、きらきら輝いています。畑のあちこちには、旅の途上でしょうか、アサギマダラがひらひらと花の間を掻い潜ったり、止まって羽をゆっくり開閉しています。私たち以外にも10人ほどの見物客がいましたが、皆さん、秋の花園の穏やかな光景に言葉もなく、ただぼんやり佇んでいます。秋のやさしい時間が止まっているかのようです。
藤袴はキク科ヒヨドリバナ属の植物で、同じ頃に咲くヒヨドリバナの仲間です。ヒヨドリが鳴く頃に咲くというヒヨドリバナ(花)、自転車で里山を走っていますと、林縁などにしばしば小さな白いヒヨドリ花の群生を見かけます。
藤袴とヒヨドリ花、花の形はそっくりで区別することは困難です。花の色は、ヒヨドリ花はすべて白色ですが、畑に育つ栽培種の藤袴は総苞が薄赤紫色をしていますので、簡単に識別できます。しかし自然種(自生種)の藤袴は白色ですので、見分けがつかなくなります。
それでは両者を区別するにはどこを見れば良いのでしょうか?それは葉の形です。ヒヨドリ花の葉は単葉で辺縁は粗い鋸歯状となり対生します。一方、藤袴の葉は深く三裂するのが特徴で、葉の形を見れば区別できます。ここで気をつけなければならないのは、藤袴の葉で三裂するのは茎の真ん中あたりから下で、上方では単葉で対生することが多く、ヒヨドリ花とよく似た姿になります(写真上真ん中)。
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キク科の花の特徴は、「めしべ」や「おしべ」など花の要素を備えた小さな花(小花)がたくさん集合して一つの花を形成することで、これを頭花と呼びます。小花には、花びらのような花冠を有する舌状花と、筒のようになった筒状花があり、キクやヒマワリなどは双方の小花より構成されますが、藤袴やヒヨドリ花は筒状花だけから成ります。藤袴の場合には、小花が5個集まって頭花を形成し、周囲を赤紫色の総苞が包みます。
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葯筒と書いて来て、ふと思い出したのが野あざみです。小花の拡大写真。葯筒が筒で 葯筒と「めしべ」の柱頭が実に巧みに働いて自家受粉を防いでいあることがよく分かります。そのメカニズムは次の通りです。
(A)葯で作られた花粉は、葯筒への開口より葯筒内へ運ばれます。
(B)下方にあった「めしべ」の柱頭が上へ伸びて来て花粉を押し上げます。しかも野あざみでは、虫が花の上を歩き回わりますと、その振動で花糸が刺激されて収縮し葯筒が引っ張り下げられます。すると、柱頭の先端に付着した花粉が表面へ露出します。
(C)やがて「おしべ」は消退し、{めしべ}の柱頭が2裂して、他の個体の花粉を受け入れます。
このようにして、先に自分の花粉を放出した後、他の個体の花粉を受け入れようとするもので、これを雄性先熟と言います。
そこで藤袴もひよどり花も同じように雄性先熟するものと考え、上の写真(B)のように、まだ二分していない柱頭の先端に花粉がいっぱい付着している像が見えるのではないかと、もう一度撮影した写真をすべて見直しました。特につぼみの多数残っている若い花の集団を注意深く観察しましたが、花粉を載せた柱頭はまったく見られません。二分する前の柱頭もみられず、それどころか、つぼみから出たばかりの若い柱頭が既に2裂しています。しかもどこを探してみても花粉のかけらもみえません。これはどういうことでしょうか、驚きました。はて困ったな!?と思い、再度ネットで調べてみました。するとヒヨドリ花の話ですが、私たちが通常見かけるもの大多数が無性生殖であると記されていました。またまた驚きました。藤袴も同じことでしょう。あれだけたくさんの蝶や虫が集まり、秋の日を浴びて楽しそうにしている藤袴やヒヨドリ花、典型的な有性生殖をして種子を作るものと思っていましたが、意外や意外、無性生殖でした。分からないものです。
そういえば、おにゆりは、あれだけ立派な「おしべ」と「めしべ」を持ちながら有性生殖はせず、「むかご」を作って増えて行きます。何のための「めしべ」や「おしべ」でしょうか。世の中は分からないことばかりです。
さてアサギマダラの話です。海を渡る蝶として今ではすっかり有名になったアサギマダラですが、1980年代以前には大移動をしているとは考えられていなかったそうです。しかしある季節になると突然大集団が現れたり、逆にいなくなったりするため、移動説が唱えられるようになり、1980年代前半に、捕獲した個体の翅に日時、場所、捕獲者名などを標識し再び放って追跡するマーキング調査が始まりました。この調査が大々的に行われるようになって、 アサギマダラは、季節的に本州から九州、沖縄、台湾までの間を移動していることが明らかになったのです。世界で海を渡り国境を越える蝶はアサギマダラだけだそうです。
こうしてアサギマダラのことをあれこれ調べているうちに、凄い人の素晴らしい著書に出会いました。元東大病院の内科医で、現在は群馬パース大学学長を務めておられる栗田昌裕先生の著書「謎の蝶アサギマダラはなぜ海を渡るのか?」(栗田昌裕著 2014年PHP出版 2014年)です。先生は、多忙な診療や医学研究のかたわら10年間アサギマダラを追い続け、13万頭余(蝶の数は匹ではなく頭で数えるそうです)の個体にマーキングされたそうで、この数は日本一だそうです。以下、栗田先生の著書を中心にアサギマダラの実態に迫ります。
1)移動:北は北海道から南は九州、沖縄、台湾まで、春から夏には北上、秋から冬には南下し、1,000kmから2,000kmも移動するそうです。
2)寿命:数か月ほどの短い命です。北上の場合、秋に産卵された個体は、その年のうちに孵化し幼虫で越冬します。3~5月頃、蛹(さなぎ)を経て羽化し、その後北上の旅を始めますが、多くの個体は本州のどこかで産卵して夏前には一生を終えます。逆に南下では、6月頃に産卵、孵化し、7~8月に蛹化と羽化、8月下旬頃より南下の旅に出て、沖縄では11~12月頃にみられるようになります。したがって北上と南下の旅は、それぞれ短い一生をかけた大仕事なのです。
- 3)好む花は、ヨツバヒヨドリ、ヒヨドリバナ、ヤマヒヨドリバナ、フジバカマなどで、これらの花の蜜にはアルカロイドという有毒物質が多く含まれています。鳥などはアルカロイドを嫌いますので、天敵から身を守るために役立っています。幼虫が好んで食べるキジョランなどガガイモ科の植物もアルカロイドをたくさん含んでいます。
- 4)栗田先生は、アサギマダラの飛翔パターンを24種に分類しています。その中で興味深いのは、V字飛翔と名付けられたものです。白いタオルをぐるぐる回しますと、アサギマダラは左右の翅を一定角のV字型に保って、直線的に前下方に滑空して来ます。たまたま頭上の枝に止まっていた場合には、翅を閉じたまま垂直に落ちて来ますので、「ぽとりと落ちて来た」ように感じるそうです。このような飛翔をする蝶は他にいないそうです。
5)私達が知りたいのは、海を渡る時の様子です。単独なのか、群をなしているのか、どのような飛び方をしているのか、どのようにして方角を感知しているのか、どこかで休んでいるのか、などなどです。しかし、まだよく分かっていないそうです。
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安西 冬衛の「春」という有名な一行詩があります。
春
安西 冬衛
てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った
中学や高校の国語で習われた方も多いと思います。海峡という広大な景色の中で、小さな蝶がひらひら飛んでいる、途轍もなく大きなイメージが膨らみます。
安西冬衛(1898-1965年)は奈良市の出身で、1920年父の赴任先であった当時の満州、大連に渡ります。翌年、南満州鉄道へ入社しますが、右足膝関節炎のため右脚を切断し、以後文学に傾倒するようになり1924年には大連で北川冬彦らと詩誌「亞」を創刊します。一行詩「春」は1926年頃に作られていますので、右足切断後になります。この詩の解釈は様々で、私は初め、まだ見ぬ大陸へ出かける作者の期待と不安、緊張と孤独を表現したものかなと思っていました。しかし右足切断後に書かれたものとなりますと、解釈は複雑になって来ます。
韃靼海峡とは、間宮林蔵が発見した樺太と大陸との間の海峡のことです。したがって日本では間宮海峡と呼ばれますが、中国で韃靼海峡、ロシアではタタール海峡と言います。 韃靼とは、中央アジアからシベリアにかけて支配した蒙古系の一部族ですが、中国では東北地域の少数民族を総称して使われるそうです。この詩は最初、1926年5月刊行の同人誌「亜」に発表されましたが、その時には「韃靼海峡」ではなくて「間宮海峡」になっていたそうです。それが3年後に発行された詩集「軍艦茉莉」の中では、「韃靼海峡」に置き換えられたとのことです。その理由として作者は、「ひらがなの「てふてふ」と漢字の「韃靼」という言葉の対照と、それから生み出される精神的な美しさにある」と言明しています。確かにその通りかも知れません。ただ日本語から中国語に置換されたということは、租借地という植民地に居住する日本人と中国人、初めは支配する側と支配される側でしたが、3年間一緒に暮らすうちに心が打ち解け、お互い相手を深く理解するようになっていったことを示しているのかも知れません。
韃靼海峡を渡る蝶は、アサギマダラではないかと考える人もあります。それに対し栗田先生は、次のように考察されています。「確かにアサギマダラは、ロシアの沿海州や樺太でも観察されており、可能性は否定できません。もし海峡を渡るとすれば北上の時と考えられます。一般にアサギマダラの北上は、南西諸島で3~5月、九州で5月、北海道南部では5月末頃になります。そうしますと韃靼海峡を渡る頃は6月中旬から下旬で、季節は夏になり、タイトルの春とは合わないということになります」。
アサギマダラが海を渡る時、風雨や天敵に襲われ、夥しい数の仲間が死んでいます。それでも海を渡ろうとするアサギマダラ、確かに謎の蝶です。その蝶がひらひら舞う藤袴畑も何となく不思議なことが起こりそうな気がします。下の写真のように・・・。
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令和6年2月12日
桑名市総合医療センター理事長 竹田 寛 (文、写真)
竹田 恭子(イラスト)