名誉理事長の部屋令和6年9月1日付で、竹田寬先生に名誉理事長の称号が授与されました。

名誉理事長の部屋

9月:継子の尻拭い(ママコノシリヌグイ)

9月:継子の尻拭い(ママコノシリヌグイ)

かわいい花に鋭い棘・・・継子いじめ話の裏表―

桃色の小さな花がかわいい継子の尻拭い。 なぜこんな気の毒な名前になったのでしょうか?

 明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。今年の元旦は穏やかに晴れた暖かい朝でした。コロナも明け、元の平穏な一年の始まりを祝うのにふさわしい好天でした。ところが午後410分頃、突然、輪島市や珠洲市など石川県能登半島を中心とする震度7強の大地震が発生しました。死亡者は7日現在120人を超え、安否不明者も200人近く、多くの人達が避難所で不自由な生活を強いられています。三重県からもDMATの数チームが現地の救援に駆け付けました。震災による凄まじい破壊の様子がテレビで放映される度に強い衝撃を受けましたが、そのショックも覚めやらぬ翌2日の午後6時頃、今度は羽田空港で日本航空の旅客機と海上保安庁の航空機が衝突し、日航機が炎上、航空機の乗員6人中5人が死亡するという痛ましい事故となりました。せめてもの救いは、日航機の乗客、乗員379人は全員脱出して無事だったということです。懸命の消火作業にもかかわらず、炎に包まれて燃え落ちていく日航機の機体を眺めている時、一つ間違えば何が起こるか分からない、その恐ろしさに唖然とするばかりでした。今年こそ新年の平穏なスタートを・・・と願っていた矢先の自然災害と大事故、これ以上起こらないことを祈るばかりです。

かわいい桃色の花の継子の尻拭い。遠目にも茎に小さな棘のあることが分かります。

 9月に入って残暑の中にも朝夕は秋の気配を感じるようになりますと、山道や野原で見かけるようになるのが、桃色の小さな花、ママコノシリヌグイ(継子の尻拭い)です。タデ科イヌタデ属の1年草で、北海道から九州、沖縄まで日本全国広く分布し、さらに朝鮮半島や中国、台湾でもみられます。美しい花なのに気の毒な名前の付けられた植物、前々回の臭木(クサギ)、前回の悪なすびに続いての登場です。全国でいろんな呼び名がありましたが、その中から牧野富太郎博士がこの名前を選び、標準和名にしたとのことです。

道端にびっしり群れて咲く継子の尻拭い

 継子の尻拭いでは、ピンクと白の混ざった大きさ5mm前後の小さな花が10個ほど頭状花序に咲きます。同じ頃、よく似た花の咲く野草に、ミゾソバ(溝そば;202211月号にて特集)とアキノウナギツカミがありますが、ここでは継子の尻拭いと溝そばの共通点や違いについて調べてみます。

双方ともつぼみは上部が赤桃色、基部が白色で、金平糖に似ています。

 両者とも花被は5枚に深く切れ込んで5枚の花弁のようになり、中に「おしべ」が8本、「めしべ」が1本あります。
 「めしべ」の柱頭はともに3裂しますが、継子の尻拭いでは四方へ拡がるのに対し、溝そばでは拡がらず中央へ集まったままです。
 5裂した花被片は、溝そばでは大きく開くため内部の様子を観察しやすいのですが、継子の尻拭いでは半開ぐらいにしかならず、中央奥深くにある「めしべ」の柱頭は非常に観察し難くなっています。 
双方とも円形の托葉(たくよう)を有し茎を抱きます。托葉とは葉を構成する要素の一つで、葉柄またはその基部に付く葉状片のことです。
 両者の最も大きな相違点は、葉の形です。継子の尻拭いでは三角形、溝そばでは鉾形で牛の顔をひっくり返したように見えます。
 継子の尻拭いでは、茎や葉柄、葉の裏の主脈や側脈などに、硬く鋭い棘がたくさん付いていて、指で触れますとトゲトゲしていて如何にも痛そうです。継子の尻拭いは蔓性の植物で、下向きに付いている茎の棘をうまく利用して他の植物の枝などに絡み付き伸びていきます。

 溝そばにも茎などには小さな棘がたくさん付いていますが、小さ過ぎてほとんど見えないほどです。    一方、溝そばの葉柄の両側には棚のように張り出した翼があります。

 尾籠な話で恐縮ですが、用便後お尻を拭くのに、紙の無かった奈良や平安時代には籌木(ちゅうぎ)と呼ばれる木片を使っていたそうです。紙が使われるようになったのは、平安時代から鎌倉時代へ移行する頃といわれていますが、貴重な紙の代わりに蕗の葉や干し草なども使われたそうです。
 憎たらしい継子のお尻をこの棘いっぱいの葉や茎で拭いてやれば、どれだけ痛がるだろうか・・・継母は一人想像しては、ほくそ笑んでいたのでしょうか。ほんとうとすれば恐ろしい話です。

 

 洋の東西を問わず、人間社会に継母と継子の問題は必ず起こります。継母が継子をいじめる「継子いじめ譚」は、古くから世界中どこにでもみられ、哀しい人間の性(さが)に由来するものと言ってもよいでしょう。いじめられる対象は、ほとんどが女の子です。

 継子いじめ物語の中で最も有名なのが、絵本やディズニーのアニメなどでお馴染みのシンデレラでしょう。母親を亡くしたシンデレラは、継母と二人の連れ子にさんざんいじめられますが、最後には王子様に見初められて結婚します。シンデレラ物語はサクセス・ストーリーですが、同様の話は欧州やアジアなどに広くみられます。グリム童話の「灰かぶり(姫)」もシンデレラ物語ですが、シンデレラは夜かまどの隣の灰の中でしか寝させて貰えませんでしたので、灰かぶり(姫)と呼ばれます。グリム童話は1812年頃グリム兄弟がドイツの民間伝承を集めてまとめたものですが、それより100年以上も前の1690年代、フランスの詩人シャルル・ペロー(1628-1703年)はフランスの昔話や民間伝承を編纂してペロー童話集を刊行しました。その中に、「サンドリヨンまたは小さなガラスの靴」という童話があり、それが現代のシンデレラの原型と言われています。

 
 シンデレラは、王子様の妃を探すという舞踏会へ行きたいのですが、継母と連れ子に邪魔されて行けず泣き崩れていますと、名付け親(魔法使い)がやって来て魔法をかけます。するとかぼちゃが馬車になり、6匹の二十日ねずみが馬に変わります。シンデレラのボロ服も見違えるほどのドレスとなり、世にも美しいガラスの靴を履かせて貰います。

ガラスの靴

 舞踏会へ登場したシンデレラは皆の注目を集め、王子様に見初められます。魔法は12時に解けますのでそれまでに帰らねばなりませんが、舞踏会2日目は楽しくて時間を忘れ、12時の鐘が鳴り始めた時、ハッと気付いて慌てて走り出しますが、その時片足の靴を脱ぎ落したまま帰ります。その後、残された靴がぴったり履ける少女が探されてシンデレラが見出され、無事王子と結婚するという、お馴染みの話です。

 ペロー童話には、他にも「眠れる森の美女」「赤ずきんちゃん」「ねこ先生または長靴をはいた猫」などの話があり、ディズニーなどを介して私たちに広く親しまれている作品が数多くあります(ペロー童話集 シャルル・ペロー 新倉朗子訳 岩波文庫)。   

 日本の古典文学や昔話、民間伝承などの中にも継子いじめの話はたくさんあります。私の調べた狭い範囲内ですが、話の内容から次の4つに分類されるように思われます。

  • (A)シンデレラ型  
      シンデレラと同じように、いじめられた継子が最後はハッピーエンドで終わるものです。
     「落窪物語」は、平安時代の900年代末、枕草子より少し早い頃に成立したといわれます。継母にいじめられ、畳の落ち窪んだ部屋に一人住まわされていた落窪の君が、最後には誰もが憧れる少将と結婚するという話で、和製シンデレラとも呼ばれています。
     鎌倉時代の「住吉物語」も、落窪物語の影響を受けて作られた同様の話です。
     民話の「紅皿欠皿」(べにさらかけさら)や「糠福米福」(ぬかふくこめふく)も、継母と醜い妹の実子が、美しい継子の姉をいじめますが、最後に姉は幸せな結婚をするという物語です。「紅皿欠皿」では、実子には美しい紅皿が、継子には欠けた欠皿が与えられますので、妹が紅皿、姉が欠皿となることが多いのですが、美しい姉が紅皿、醜い妹が欠皿と名前の入れ替わることもあります。その美しい継子の姉紅皿が太田道灌の山吹の里伝説に登場します。道灌が鷹狩りに出て雨に遭い、近くの民家へ入って蓑を借りたいと言います。すると若い娘「紅皿」が出て来て、何も言わず山吹の花を折って差し出します。道灌は怒りますが、それは『七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき』という古歌の「実の」と「蓑」を懸け、蓑は無いということを示したものだということを知ります。自分の無知を恥じ入った道灌は紅皿を江戸城へ呼び寄せ、以後和歌道に精進したそうです。道灌の死後、紅皿は尼となりますが、その碑が東京新宿の大聖院にあります。この話は、馬琴の読本「皿皿郷談」(べいべいきょうだん)や歌舞伎などにも取り上げられています。
     「鉢かつぎ姫」は、河内の国の美しいお姫様の話です。病弱の母は娘の将来を案じ観音様のお告げに従って娘の頭に鉢をかぶせ、死んで行きます。すると娘の鉢は外れなくなり、それを気味悪がった継母は、娘を捨てさせます。その後、娘は若い武家から結婚を申し込まれますが、それに反対した父は、娘を刀で切り殺そうとします。すると鉢が粉々に割れて中からたくさんの金銀財宝と美しい姫の顔が現れ、二人は無事結婚し仲良く暮らしたという話です。
    • (B) 真似そこない型 
       「花咲かじじい」「こぶとりじいさん」などのように、正直者は神様や鬼から褒美を貰いますが、それを真似た欲深い人は罰を受けるという話を「真似そこない話」と言います。
       静岡県の民話「栗拾い」は、継子の姉と実子の妹の話です。ある日二人は継母の言いつけで栗拾いに行かされます。妹はすぐに栗が籠いっぱいになって帰りますが、姉の籠には穴が開いていて栗はたまりません。暗くなって途方に暮れていますと、灯りの付いた一軒家があります。中にはお婆さんが住んでいて、まもなく鬼が帰って来るから2階に隠れて居なさいと言われます。帰って来た鬼が寝て翌朝出て行きますと、お婆さんから穴を治した籠いっぱいの栗と、美しい箱を貰います。家へ帰って箱を開けますと、金銀やサンゴの宝物でいっぱいでした。それを見た妹は、自分も欲しくなって姉と同じようにお婆さんの家へ泊まります。翌朝貰った箱を開けますと、毒ヘビや毒虫、毒ガエルなどがたくさん出てきて、妹と継母を食べてしまったとのことです。
    • (C)実子が継子を助ける型 
       日本の継子いじめ物語では、継母が実子を連れて来るのではなく、新たに子供が生まれるという設定になっているものもあります。そうしますと継子の姉と実子の妹は異母姉妹になり姉妹愛が生まれます。継母が必死になって継子をいじめたり殺そうとするのですが、それを妹がうまくかばい、最後は姉妹二人で幸せになるという話です。
       宮城県の民話お月お星」では継母からの攻撃から逃れたお月、お星の姉妹は、最後に天に昇り月と星になったという話です。
       石川県の民話「お銀小金」は悲しい話です。継母は犀川の河原に掘った大きな穴へ継子のお銀を突き落します。穴にはだんだん水が入って来てお銀は妹の小金に助けを求めます。すると小金は「私も側へ行くからお母さまを許してあげて」と叫んで穴へ飛び込みます。今でも法年寺というお寺には二人の墓が並んでいるそうです。
    • (D)継子殺しなどの残虐型
       継子を鍋で煮て殺すという話は、西洋にもある残酷物語ですが、日本でもいろいろな地方に伝わっています。たいていの話は、夫が仕事で遠くへ行っている間に、継母が継子を湯の煮えたぎった釜へ落として殺します。帰って来た夫は、娘の殺されたことを知り、怒り狂って継母を「なた」で切り殺すというものです。
       「おりん子こりん子」は世にも恐ろしい話で、継母は、おりん子、こりん子というかわいい姉妹の継子を次々に釜の湯へ落とし殺します。戻った夫は継母を殺しますが、ところが次に来た継母も継子を殺し、夫はさらに継母を殺し、それが何度も繰り返されるというものです。
       またグリム童話にもある「手無し娘」という話は、継母に継子を殺して捨てて来いと言われた使用人は、かわいそうだからと両手だけ切断して帰って来ます。後に継子は大店の息子に嫁ぎ、生まれた赤ん坊に水を飲まそうと川岸へ跪いた時、赤ん坊を落としそうになりますが、とっさに両手が生えて抱きかかえます。最後に継母は呪い殺されます。同様の話は中国にもあり、ドイツから中国を経て日本に伝わったともいわれています。

      継子の尻拭いのつぼみの側には棘があります。かわいい赤ちゃんを守っているのでしょうか?     それとも・・・?

       牧野富太郎博士が選んだという「継子の尻拭い」という名前、私は初め、憎たらしい継子への腹いせに、せめてこの葉っぱでお尻を拭いてやりたいと願う継母の気持ちを表現したブラック・ユーモア的なものかなと思っていましたが、「継子殺し」などの残虐な話の残っていることを考えますと、ほんとうに拭いたのでしょうか。おどろおどろしい話です。

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       フランスの作曲家ジュール・マスネ(1842-19112)は、多数のオペラを作曲していますが、その中でも「マノン」「ウエルテル」「タイス」などの歌劇は現在でも人気が高いそうです。歌劇「タイス」の中で演奏される「タイスの瞑想曲」は、ヴァイオリンの独奏が美しく、愛好家も多いと思います。 

       

       マスネはペローの「サンドリヨン」もオペラにしていて、それを三重オペラ協会が昨年1118日松阪市にて上演致しました。三重オペラ協会は、三重県内でオペラを上演することを目的として、1995年に演奏会員と支持会員が集まって創立され、以来30年近くオペラの上演を続けています。実はこの歌劇は、2年前の2021年9月に上演する予定でしたが、コロナのために中止せざるを得なくなり、その時の辛い思いを乗り越えての今回の公演です。
       本協会の運営に中心的な役割を果たしておられる声楽家の佐波真奈己氏が、妻の所属する合唱団の先生ということもあり、私達も支持会員になっていますので、いそいそと出掛けました。
       

       指揮は関東を中心に活躍されている仲田淳也氏、演出は演劇の世界で国内外を忙しく駆け回っておられる津市在住の鳴海康平氏です。キャストは主人公の廣めぐみ氏や名付け親の妖精役の佐波氏を含め13人、皆さんフランス語で歌わねばならず大変だったでしょうが、一人ひとり生き生きと歌われ、ご自分の役を演じ切っていました。楽器の演奏もヴァイオリン、フルート、ピアノだけのこじんまりしたものでしたが、上手く調和がとれていて、速やかな劇の進行に一役買っていました。柔らかな色彩で無駄なく描かれた背景画は目に優しく馴染み、その展開も見事でした。最後は素晴らしい盛り上がりのうちに終わりました。

       三重オペラ協会の今後の予定ですが、310日に三重県文化センター主催で「ヘンゼルとグレーテルスライドコンサート」が開催されます。フンパーディンク作曲の歌劇「ヘンゼルとグレーテル」をオリジナルのかわいいスライドを投影しながら、間に日本語の芝居と原語(ドイツ語)の歌唱を挟んで、小さなお子様にも、その保護者様にもオペラの楽しさに触れて頂こうという企画です。女声キャスト4名は三重オペラ協会内のオーディションを勝ち抜いた選りすぐりメンバー、バリトンの西田昂平氏は三重県出身でびわ湖ホール声楽アンサンブルのメンバーとして活躍しています。さらに佐波氏が初めて演出を担当します。
       ヨーロッパでは子供たちの劇場デビューとして親しまれている作品だそうで、是非ご来場ください。

           

                                                    (今回も医療とウクライナの話はお休みします)

                                                                      令和619
                                        桑名市総合医療センター理事長  竹田  寛 (文、写真)
                                                       竹田 恭子(イラスト)

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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