名誉理事長の部屋令和6年9月1日付で、竹田寬先生に名誉理事長の称号が授与されました。

名誉理事長の部屋

6月:麦畑

― 里山の夏の異次元世界、風、光、ざわめき ―

風に騒ぐ麦畑を撮影した写真です。何の画像処理もしていませんが、抽象絵画のように見えます。

 新型コロナウイルス感染は、6月も中旬から下旬となって全国的に小康状態となり、10都道府県に出されていました緊急事態宣言も、沖縄県を除き、まん延防止特別措置に変更されました。しかし東京都と周囲3県では、新規感染者が日を追うごとに漸増し、オリンピックを間近に控え、いつ第5波の感染拡大が起こるかも知れない不穏な状況が続いています。

図1 新型コロナワクチン接種率の推移   (政府CIOポータルより)

 そんな中、高齢者に対するワクチン接種は着実に進んでいます。図1をご覧ください。ここ数か月におけるワクチン接種率の推移を示したものですが、65歳以上の高齢者では、6月から7月にかけ接種率が急速に増加し、76日時点で接種1回終了が65.11%2回終了が33.82%となっています。

 国としては、7月末までに接種完了する予定だそうです。これが終わりましたら、医療関係者への接種はほぼ完了していますので、ひとまず、第一段階は乗り越えたと言って良いと思います。一方全国民に対する接種率は1回終了19.85%2回終了10.35%で、この数字はまだまだです。

 ここで気になるのが変異株です。従来、変異株は最初に発見された国の名前を付して呼ばれていましたが、WHOの提唱により5月末よりギリシャ文字を用いることになりました。その理由は、変異株が最初に見つかったと言っても必ずしもその国で発生したとは限らないこと、その国の人達が汚名を着せられ差別されるかも知れないこと、それを恐れ新しく変異株が発見されても公にしない国が出るかも知れないことなどを考慮したからです。

表1 主な変異株の一覧

 現在までに判明している変異株の一覧を表1に示します。今話題となっているのが、昨年10月にインドで発見され、従来インド株と呼ばれていたデルタ株です。とにかく感染力が強く、従来型のウイルスの2倍以上、英国型と呼ばれたアルファ株の1.5倍強いと言われます。             

 では今接種が進められているワクチンは、デルタ型変異株に効果があるのでしょうか。
感染予防効果
 ワクチン接種の進んでいる英国では、79日の時点で全成人の65.3%の人が2回接種を終え、86.8%の人が1回接種を終えています(英政府発表)。接種率の上昇とともに感染は沈静化し、1月には6万人を超える日もあった新規感染者も、5月には1600人ほどに激減しました。ところが6月に入り再び急速に増加しています。この増加はデルタ株感染によるもので、新規感染者の90%がデルタ株と言われます。

 それではワクチンはデルタ株の感染予防に効果がないのでしょうか。図2をご覧ください。ワクチンが接種されていない12歳から24歳までの若年者と、接種の完了した70歳以上の高齢者とで新規感染者数を比較したものです。5月末になって若年者では急速に感染者が増えていますが、高齢者ではほとんど変化ありません。この結果は、ワクチンがデルタ株の感染防止効果のあることを示しています。           

図2 ワクチンのデルタ株感染防止効果   (BBCニュース6月19日より)

重症化防止効果

ファイザー社とアストラゼネカ社ワクチンにおける重症化防止効果を比較した結果を表2に示します。両ワクチンともに、2回接種が完了しますと高い防止効果を示しますが、1回投与では半分ほどに低下し、とくにデルタ株に対しては低くなっています。したがってイギリスにおいては、感染者は増加しても重症化して入院する人の数はそれほど増えてていないそうです。

表2 2社のワクチンの重症化防止効果の比較

 最近日本では、ワクチン接種の進んだ65歳以上の高齢者に代わって、4064歳の中高年に感染したり重症化する人が増えています。医療側からすれば、この年代の人達のワクチン接種を急がなければと思います。ワクチンの供給がいささか滞っているようですが、おっつけ解決されるでしょう。40歳を超える人達のワクチン接種が完了すれば、重症化したり死亡する人はかなり減るはずで、医療負担も軽減されます。感染しても重症化しない、インフルエンザのようにすること、それが目標です。

風の無い日の里山の麦秋。穏やかな里山風景にしっとり馴染みます。

 日本の里山を黄色く彩るもの、春には菜の花畑があり、初夏には麦畑の麦秋があります。菜の花畑の黄のイメージは、「鮮やか」「華やか」「みずみずしい」「甘い香」でしょうか。一方の麦秋の黄は、「やや渋い」「控え目」「乾燥」そんな感じがします。麦畑を毎日見ていますと、麦穂の色が、青緑から黄緑、黄、黄銅、海老茶へと変化して行きます。麦穂の色が変わるとともに麦畑全体も表情を変えます。

映画「麦秋」のラスト・シーン

 

 小津安二郎監督の映画「麦秋」では、ラスト・シーンで麦秋が登場します。年老いた両親は、囲炉裏端でお茶を呑みながら、庭越しに麦秋の中を通り過ぎる花嫁行列を眺め、遠くへ嫁いで行った娘へ思いを馳せます。背景には耳成山の稜線が緩やかに流れ、昔懐かしい日本の里山の初夏の光景です。

 穏やかな麦畑も、ひとたび風が吹きますと様相は一変します。次の2枚の写真のうち、上は麦穂が黄色に色付き始めた頃、下はすっかり退色して海老茶色となった頃の麦畑です。どちらも背景の田圃や山は初夏の表情をして静かに佇んでいますが、麦畑だけが一人ざわめき立っています。まったく別世界、異次元世界なのです。
  
 しかもその騒がしい麦畑を、私は普通にカメラのシャッターを切っただけなのですが、出来上がった写真は、まるで絵画です。何の画像処理もしていないのに、油絵具で描いた抽象絵画のように見えます。その絵のような不思議な写真、どうぞご覧ください。

周囲の麦穂は黄変し風に揺れているのに、まだ青い麦穂の小さな群が取り残され孤立しています。


麦の穂先の一部が光を受けて白く光り、小さな鳥が飛んでいるように見えます。


緑と黄色と海老茶と白、微妙な色調のバランスが実に巧みです。


すっかり熟れた麦畑。薄茶色の何とも言えない世界です。

 さて麦畑と言えば、この人、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(1853-1890)に登場を願わねばなりません。アルルへ移ってから37歳で死亡するまでの間に、麦畑を題材とした絵を数多く描いています。そのなかでも特に有名なのが、「荒れ模様の空にカラスの群れ飛ぶ麦畑」でしょう。今にも嵐のやって来そうな黝い空、黄色の麦畑が風に激しく揺れます。手前で交差する三本の道は別々の方向へ消えてゆき、カラスの群れが逃げるように飛び去ります。ゴッホは、自身の孤独と不安、哀しみをこの絵画に表現し、この場所でピストル自殺を図ったと言われています。ゴッホの死後今日まで、それが定説になっており、私たちもそう教わりました。ところが最近、自殺ではなく他殺であるという説が唱えられています。その根拠は何なのでしょうか。

ファン・ゴッホ 荒れ模様の空にカラスの群れ飛ぶ麦畑 1890年 ゴッホ美術館(アムステルダム)蔵

 そこでゴッホがアルルへ来てから最期に至るまでの2年5か月間の足跡をまとめてみました。下表をご覧ください。この期間は、住んでいた町により3つに区分されます。

 

 

3、表3 アルル、サン=レミ、オーヴェルの地図とゴッホの最期に至る25か月の足跡

 まずアルル時代、ゴッホがその景色の明るさに驚嘆し、精力的に絵を描いた時期です。恐らく短い一生のうちで最も絵画制作にうち込んだ時期だったと思われます。そしてゴーギャンとの共同生活が2か月で破綻し耳切事件を起こして終わります。
 次のサン=レミ時代は、精神病の発作を繰り返すためサン=レミの修道院の療養所へ入所していた時期です。
 最後のオーヴェル時代には、医師ガシェと親交を保ちながら絵画制作を続けます。そして1890727日に拳銃で自殺を図り2日後に死亡します。

写生に出掛けるゴッホ

 ゴッホは何故自殺しようとしたのでしょうか。その動機として次のようなものが考えられます。
1)精神病の再発を恐れていた(しかしオーヴェルに滞在してからは一度も発作を起こしておらず、病状は安定していたと思われます)。
2)絵画の才能に限界を感じ、将来を不安に思っていた(サン=レミ時代の1月、パリの評論家やモネなどの画家によりゴッホの絵が賞賛されたこと、また赤い葡萄畑という絵が初めて売れたことなどより、決して絶望的な気持ちではなかったと思われます。また死亡する数日前に絵具を購入していることも、創作意欲のあったことを推測させます)。
3)経済的にやって行けないと思っていた(これは確かな様で、弟テオ一家に長男が生まれて費用がかさむし、その頃テオは会社の上司と折り合いがうまく行かず苦境に立たされていました。そのためこのままテオから仕送りをして貰うのは辛いと思っていました。自殺したとすれば、これが最も大きな動機になったものと思われます)。

 ただその自殺ですが、不自然な点が多々あります。 
1)自殺するなら通常、頭か心臓部を狙いますが、腹部を受傷していること。
2)自殺の場合、至近距離から発射しますので、弾丸はほとんど体を貫通するそうですが、体内に残っており、ある程度離れた場所から撃たれたのではないかと推測されます。
3)自殺しようとした麦畑に拳銃が見つからなかったこと。
4)受傷した後、歩いてホテルまで帰っていること。
 謎を残したまま自殺が定説となっていましたが、10年ほど前、ピュリッツアー賞作家のスティーブン・ネイファーとグレゴリー・ホワイト・スミスが著書「ファン・ゴッホの生涯上・下」(松田和也訳、国書刊行会、2016年)の中で他殺説を提唱しました。オーヴェルには、汚い身なりをしたゴッホが写生をしているのを見て、いじめたり悪ふざけをする悪ガキの一団があったそうです。そのうちの一人が、アメリカ西部劇にかぶれカウボーイの恰好をして拳銃を持ち歩いていました。ある時、その拳銃で誤って撃たれたのか、故意に撃たれたのか、あるいは自殺願望のあったゴッホが頼んで撃って貰ったのか、などと推測されています。私にはこの方がより真実に近いように思われますが、如何でしょうか。

ファン・ゴッホ 荒れ模様の空の麦畑 1890年 ゴッホ美術館(アムステルダム)蔵

 ゴッホは「荒れ模様の空にカラスの群れ飛ぶ麦畑」を描いたのと同じ頃、2枚の絵を描いています。そのうちの1枚が上の「荒れ模様の空の麦畑」です。同じく荒れ模様の空ですが、地上の麦畑は穏やかです。麦畑は風のない時には静かです。しかし風が吹くと様相が一変し、ましてや嵐となればなおさらです。カラスの飛ぶ麦畑の絵は風が強い時に描かれました。ざわめき立つ麦畑、不吉な黒いカラスの群が、ゴッホの深い孤独と不安と哀しみを表していると言われます。しかしそれほど強い苦悩を抱えているゴッホが、同じ頃に描いたもう一枚の絵では、麦畑の表情は実に穏やかです。ゴッホは深い苦悩を抱きながらも、天候により変化する麦畑の姿を、ありのまま描いたのではないでしょうか。ほんとうは、もっと生きて絵を描きたかったのではないでしょうか。
 私もゴッホは自殺ではなく偶発的な事故により亡くなったのだと思うようになりました。                              

         ゴッホの2枚の絵は、ゴッホ美術館のホームページよりダウンロードしました。

                                                                                                                       711

            桑名市総合医療センター理事長   竹田  寛 (文、写真)
                             竹田 恭子(イラスト)

バックナンバー