4月:からし菜(西洋からし菜)
―菜の花畑の向こうには、ウルトラマンが立っています―
4月に入って新型コロナウイルス感染は、変異ウイルスの爆発的な拡がりにより第4次拡大を迎え、そのままゴールデンウイークに突入しました。その最中の5月3日、伊勢自動車道(高速道路)を少し走りましたが、伊勢志摩方面へ向かう車で結構混雑していました。伊勢神宮やその界隈は、若い観光客で賑わっているとのこと、日本中の観光地や大都市の繁華街でも同様で、人出は昨年の同期より数倍増えているとのことです。外出自粛の必死の呼び掛けにもかかわらず、この状況、果たして感染拡大は収まるのでしょうか。
今、大阪や兵庫さらにインドでは、患者急増によりたいへんな状況に陥っています。既に医療崩壊を起こしていると言っても過言ではないでしょう。そこで今回はこれらの地域で起こっている問題点について概説したいと思います。
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無症状や軽症の方が自宅やホテルなどで療養するのは良しとしても、中等症以上の場合には病院へ入院しなければなりません。 しかし病床が空いていないと自宅待機(入院調整)せざるを得なくなります。大阪では、 4月29日時点で1万4000人もの患者が自宅療養または待機をしていたそうです。その中にはそのまま自宅で亡くなった方もあり、3月以降大阪では12人、兵庫でも数人を数えています。自宅待機中に亡くなる患者を極力なくしたい、医療人ならば誰でも願うことです。病院で適切な治療を受けておれば死なずに済んだかも知れないのですから。そのためには、コロナ入院病床を増やすことが一番ですが、そう簡単に増やせるものではありません。病院の本来の診療、救急医療や高度先進医療などをたやすく減らすことができないからです。またある程度設備やスタッフなどが整った病院でないとコロナ患者を受け入れることはできません。数の限られたコロナ入院病床、有効に使うためにはどうすれば良いのでしょうか。
コロナ患者とくに高齢者の患者では、症状が収まり感染力が無くなっても、体力の回復やリハビリのために、さらに入院を要する人が少なくありません。そのような患者がそのまま入院し続けますと、コロナ病床の回転率が悪くなり、新しい患者を収容できなくなります。そこで大切なことは、治療の終了した患者の転院先病院、すなわち後方支援病院を増やすことです。コロナ入院病院と複数の後方支援病院が緊密な連携を組むことにより、コロナ病床の回転が良くなり、自宅待機する患者が減少します。東京の墨田区ではこの連携がうまく機能して、第3次感染拡大の際、当初50人を超えた入院待ち患者がゼロになったとのことです。そこで桑名市でも、桑名市医師会長の青木大五先生のご尽力により、桑名市総合医療センターがコロナ入院病院、市内のほとんどの医療機関が後方支援病院となって、医療連携システムを開始しました。幸い三重県全体では病床にはまだ余裕がありますが、四日市など一部地域では、大阪に近いほど病床が逼迫しています。この医療連携の取組を、なるべく早く県内全域に拡大して、自宅待機中の患者死亡をゼロにしたいと願っています。
インドと日本における1日あたりの新規感染者数(図2、左)と死亡者数(図3、右)の推移。人口100万人あたり。
(Our World in Dataのホームページより引用)
さてインドです。図2,3をご覧ください。新型コロナウイルス感染の1日あたりの新規患者数と死者数(人口100万人あたり)の推移を日本とインドで比較したものです。両者とも、今年の1月から2月頃までは、インドの方が日本よりも少ないのに、4月に入ってインドでは急速に増加して逆転し日本をはるかに凌ぐ高値となっています。4月下旬における1日あたりの新規感染者数は40万人、死者も3,600人前後と、とんでもない数になっています。この原因として、インド政府が、感染者数も死者数も減ったために、人の多く集まるイベントの解禁など様々な規制を解除したところへ、感染力の強いインド型の変異ウイルスが爆発的に増加したためと言われています。それではこのインド型の変異ウイルス、どのような特徴を持っているのでしょうか。
インド株はL452RとE484Qの2つの変異を持つことが特徴ですが、このうちL452R変異が免疫を逃避すると言われます。それはどういうことでしょうか。
ウイルスやがん細胞などに対して免疫が働くためには、まずそれらを異物(非自己)として認識せねばなりません。自分ではない、非自己として認識することにより初めて、免疫細胞や抗体などに指令が出て攻撃が始まるのです。その認識機能を担当するのが、人の白血球にあるHLA(ヒト白血球抗原)ですが、これにはたくさんの種類があります。そのうちの1つ、日本人の60%が持つと言われるHLA-A24は、従来型のウイルスであれば異物として認識し攻撃が開始されますが、L452R変異を有するウイルスでは認識できなくなり、免疫が働かなくなります。これを免疫逃避と言います(図4)。 |
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そうしますと日本人の過半数は、この変異ウイルスによる感染を防御できなくなる可能性が生じます。しかし私たちのHLAには他にも様々なタイプがあり、そのうちのどれかが働いて認識機能が維持される可能性があり、必ずしも免疫力が低下するとは言い切れないそうです。
またL452R変異ウイルスは感染力も強いと言われますので、もし日本で拡がったら大変なことになるでしょう。何としても防がねばなりません。
それでは今接種が進められているワクチンは、インド型変異株に対して効果あるのでしょうか。独ビオンテック社のCEOは、「ファイザー社と共同開発したワクチンはインド株ウイルスにも効果が期待できる」と明言しています。今はそれを信じるしかありません。とにかくワクチンを受けましょう。インドでの失敗は、国民のワクチン接種率が10%にも満たないのに、早々に規制を緩めたことにあると言われます。日本における接種率はそれにも及びません。少なくとも国民の半分ほどがワクチン接種を終えるまでは、今まで通り十全な感染防御対策をとって大人しくしているのが無難です。
少し昔は、3月から4月になると里山は黄色一色になりました。油菜の咲く菜の花畑が一面に拡がったからです。しかし最近は菜の花畑をあまり見かけません。菜種油を搾ることが少なくなったせいでしょうか、代わってよく見るのが、河川敷に拡がる菜の花です。下の写真は、私が通勤電車の車窓から眺める鈴鹿川の分流派川の河川敷に拡がる菜の花の群生です。私は油菜と思っていましたが、西洋からし菜のようです。最近では、戦後欧州から渡来した西洋からし菜が、日本全国の河川敷で群生するようになっています。
油菜もからし菜もアブラナ科アブラナ属ですが、他に蕪(かぶ)、白菜、キャベツ、ブロッコリーなどの野菜も同じ仲間で、よく似た黄色の花を咲かせます。菜の花といえばこれらの花の総称ですが、狭義に油菜や西洋油菜だけを指すこともあります。
では油菜とからし菜、どのように見分ければ良いのでしょうか。
4枚の黄色い花弁が十字型に咲くのはアブラナ属の特徴です。並べますと花の形は異なりますが、単独で見分けることは困難です。
花は茎の先端に密集して咲きますが、その塊は油菜では大きく密度が高いのに対し、からし菜ではこじんまりして疎な感がします。
最も分かりやすいのは、葉の茎への付着部を観察することです。油菜の葉の付け根は茎を抱きます。他にも白菜、蕪、小松菜も同様の構造になっています。一方からし菜の葉の付け根は柄となって茎に付着します。水菜、キャベツ、ブロッコリー(恐らく)もこの型に属します。
さてこの菜の花、油菜みたいに見えますが、いったい何でしょうか?
正解は白菜です。他の野菜も次のような花が咲きます。
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菜の花畑といえば、私には深く印象に残っている映画があります。ジョン・スタインベック原作、エリア・カザン監督、ジェームス・ディーン(1931-55年)主演の永遠の名画「エデンの東」です。公開は1955年、私が6歳の頃ですから私たちの一世代前の青春映画です。私は高校時代にリバイバルで観て感動し、その後3、4回は観ていると思います。第一次世界大戦前のアメリカ・カリフォルニアの農村を舞台とした厳格な父と双子の兄弟の愛と確執の物語です。優等生の兄と、不良っぽい弟(ディーン演じるキャル)、父は兄をことのほか大切にします。キャルは父に反抗的な態度をとりますが、ほんとうは父を愛し父のためにいろいろなことをするのですが、ことごとく拒絶されます。菜の花が登場するのは、キャルが兄の恋人(アブラ)と一緒に昼食を摂る場面です。この後、アブラは徐々に兄から弟へと心変わりしていきます。父から死んだと教えられていた母親は、実は離婚して近くの街で酒場を経営していました。弟に恋人を奪われ、母のふしだらな生き様を知った兄は、狂気して戦場へ旅立ちます。最愛の兄を失った父は、ショックのため脳卒中を起こし倒れますが、瀕死の枕元でアブラが懸命に語りかけ、ようやく弟の父を想う気持ちを悟ります。
この映画では、聖書の世界における善を父と兄、悪を弟と母親になぞらえ、そのはざまで揺れる娘をアブラが演じます。キリスト教社会の教条主義が壊れ始めた頃の人間模様を描いた名作ですが、物語もさることながら、愛に飢えた孤独な青年の、ひたむきに生きる姿を演じたディーンに、多くの若者が強く惹きつけられました。その後ディーンは「理由なき反抗」「ジャイアンツ」に主演しますが、自動車事故で24歳の若さで亡くなります。僅か3作映画に出演しただけで伝説の人となりました。ビクターヤング・オーケストラの演奏する主題曲も素晴らしく、「シェーン」と並んで永遠に残る名曲です。
話は変わりますが、子供の頃同じような物語の日本映画を観ました。私の実家は津市の繁華街にあり、歩いて5分ぐらいのところに映画館が5館ありました。私が小学校低学年の頃、学校から早く帰りますと、長谷川一夫の大ファンであった母は、私の手を引っ張ってよく大映映画を観に連れてくれました。その中でしばしば観たのが、三益愛子(1910-82年)の母ものシリーズです。1948年から10年間に33作も作られたそうですが、そのうち何作かは見ていると思います。覚えているのは、1958年に製作された田中重雄監督の「母」です。優秀で冷徹な長男と不良っぽいが親思いの弟、その二人の父との確執と、子供を想う母の心情を描いた映画です。夫が亡くなり寂しくなった母親に、弟がやさしい言葉をかける場面で、母は涙を拭きながら「最後に親の面倒をみてくれるのは弟やなあ・・・」と一人呟いています。隣に座っている長男の私は、複雑な気持ちで聞いていたことを覚えています。
「エデンの東」とよく似た物語のこの映画、3年後に作られたとのことですので、ひょっとすると影響を受けているかも知れません。そういえば5年後の1960年に作られた市川崑監督、岸恵子、川口浩出演の「おとうと」も、やんちゃな弟を愛する姉の気持ちを描いた作品でした。長い間日本の家父長制を支えてきた父、兄、弟の序列が戦後になって崩れ始め、弟の人間性を讃える映画が作られるようになったのでしょうか。西洋ではキリスト教の教条主義、日本では家父長制が崩壊することにより、弟が復権したと言えるのかも知れません。いずれにせよ兄としては割り切れない気持ちが残りますが・・・。
話はもう一度変わります。先日ラジオで面白い話を耳にしました。初代ウルトラマンを演じた古谷敏(ふるやびん)氏の話です。古谷氏は1943年の生まれ、私より6年先輩です。東宝ニューフェースとなって映画デビューし幾つかの映画に出演しますが、いわゆる大部屋俳優として6年が過ぎます。そんな折、古谷氏に突然主役の話が舞い込みます。TBSテレビ「ウルトラマン」役です。主役と言っても顔は仮面をかぶり体もスーツの中に隠れて見えない役、「せっかく俳優になったのに顔の見えない主役なんて・・・」と、はじめは出演を断ろうと思ったそうです。しかし周囲の人に推されて引き受けたのですが、さて役作りがたいへんです。ウルトラマンは宇宙人であって、人間でもロボットでもない、どのように演じるかずいぶん悩んだそうです。
例えば怪獣と対決するシーンです。実は古谷氏はジェームス・ディーンに憧れて俳優の道を選びました。映画「理由なき反抗」で、ディーンがチンピラとナイフを持って決闘する場面がありますが、ディーンの姿に古谷氏は強く魅かれ、映画俳優になったらいつかはディーンみたいな決闘場面を撮りたいと思ったそうです。そこで怪獣との決闘です。ウルトラマンスーツの中で古谷氏は、ディーンを真似て少し猫背になり両腕を構えて怪獣に立ち向かいました。まさにディーンになった気持ち、夢が叶ったのです。ウルトラマンが放映されたのは1966年、私が高校時代です。弟たちが観ていましたので、時々一緒に見ました。でもウルトラマン役の俳優さんが、そのスーツの中でディーンになった気持ちで演じていたとは夢にも思いませんでした。その頃、私も「エデンの東」は観ていました。その憧れのジェームス・ディーンがウルトラマンを演じていたとは、今思うと何とも嬉しい話ではありませんか。
仮面の下で人は何を考えているか、まったく分かりません。知る術もないでしょう。でもそれでいいのかも知れません。だから人間の世界は面白いのです。
なお古谷敏氏の話は、「ウルトラマンになった男」(小学館2009年刊)に詳しく書かれており、電子書籍でも読むことができます。
令和3年5月9日
桑名市総合医療センター理事長 竹田 寛 (文、写真)
竹田 恭子(イラスト)