名誉理事長の部屋令和6年9月1日付で、竹田寬先生に名誉理事長の称号が授与されました。

名誉理事長の部屋

11月:くっつき虫

―とげ玉、まゆ玉、ぬすびと足、晩秋の野に潜むやっかい者ー

とげとげ玉のようなコセンダングサの実(果実)

 新型コロナウイルス感染は、とうとう第3波の拡大期に入りました。11月に入り新規感染者数は、東京、大阪、北海道、愛知など多数の都道府県で過去最高を更新しながら急速に増加、28日には全国で2,684人、三重県でも29人と、いずれも過去最多となりました。感染者の増加とともに重症者も増え、全国における重症者数は、1128日には440人とこれも過去最多を更新、ここ半月で倍増したとのことです。同時にコロナ患者用病室の使用率も上昇し兵庫や大阪などでは50%以上、北海道、東京、愛知などでも40%を超え、三重でも45.8%1128日)、この2週間で30%も増加しました。特に問題となるのは、呼吸管理などの必要な重症者用病室で、その使用率は大阪や東京では半数前後となり、このまま増え続けますと収容し切れなくなります。第2波では感染者が増えても重症者は増加しないという楽観的な状況が続いていましたが、第3波では感染者数も重症者数も、さらには死亡者数までも激増して最多記録を更新、しかも数字は膨らむ一方です。感染者増の要因は、第2波では接待を伴う飲食店などが多く若年者の感染率が高かったのに対し、第3波では、クラスターの発生や家庭内感染が多く、感染者も若年層から高齢層まで均等に分布しているそうです。三重県でも11月だけで7件もクラスターが発生しました。第2波の拡大期には、日本人は既に新型コロナウイルスに対する集団免疫を獲得しているから感染者も少なく重症化しないという説も唱えられましたが、第3波では少し事情が異なるようです。そこでもう一度日本における今までの感染経過を振り返り、欧米と比較して、私たちの置かれている状況を考え直してみることにしました。

図1 日本における新型コロナウイルス新規感染者数の推移 (1日あたり)(Yahoo Japanのホームページより引用、改変)

 図1をご覧ください。全国における1日あたりの新規感染者数の推移を示したものですが、第3波では10月に入って増え始め、1112日には第2波のピークを上回って過去最高となり、18日には2,000人の大台を超え、28日に過去最多に達しました。

図2 日本における新型コロナウイルス重症患者数の推移(1日あたり) (令和2年11月27日に開催された厚労省第48回新型コロナウイルス 感染症対策本部会議の資料より引用、改変)

ついで1日あたりの重症者数の推移を示したのが図2です。第3波での重症者数は、第1波、第2波のピークを超え過去最高を更新し続けています。 
 両図を比べますと、第2波と第3波の違いが明瞭となります。第2波では第1波に比べ新規感染者数は増えていますが、重症者数は減っています。ところが第3波では、両者ともに第1波より増えています。第2波では感染者が増えても重症者が減ったため、楽観的なムードが広まりました。しかし第3波では重症者も増えていますので、これは深刻です。
 

表1 アジア3国と欧米5か国における人口100万人あたりの新規 感染者数と死亡者数(11月27日までの直近7日間)(札幌医大 フロンティア医学研究所ゲノム医科学部門のホームページより引用)

 一方、欧州各国では一足早く第2次の感染拡大が起こりました。9月頃より新規患者が増え始め、10月に入って急速に増加しました。そこで各国では都市閉鎖(ロックダウン)や外出制限などの厳しい緊急措置をとりました。この欧米各国における感染拡大第2波の感染者数と死亡者数はどうなっているのか、日本、韓国、中国の現状と比較してみました。表1をご覧ください。11月27日時点における直近7日間の新規患者数と死亡者数を比較したものです。人口100万人あたりの数字ですが、欧米各国ではアジアの3国に比べ、新規感染者数、死亡者数ともに桁違いに多いことが分かります。日本に比べ感染者数は10~30倍、死亡者数は20~90倍ほどになり、この数字から判断しますと、欧米ではたいへんな事態になっているという感がします。感染者数にこれだけ大きな差があるということは、単にマスクの着用や手洗いの励行などの感染防御に対する生活態度の違いだけで説明するのは困難で、集団免疫も含め何らかの他の因子が関与している可能性はあります。
 ついで死亡者に関してですが、死亡者数を感染者数で除して死亡率を求め比較しますと、欧米では日本のせいぜい24倍にしかなりません。欧米での死亡者数は日本に比べて非常に多いのですが、死亡率でみるとそれほど大差はないのです。ということは日本でも感染者が増えれば死亡者は増え、欧米に似たような事態に陥る可能性があります。したがって死亡者を減らすためには、まず感染者を減らすこと、当たり前の結論となります。

      図3 欧米5か国における11月第3週と第4週の新規感染者数の比較               (札幌医大フロンティア医学研究所ゲノム医科学部門のホームページより引用)

 では感染者を減らすにはどうすればよいか、そこで欧米各国において1120日と27日までのそれぞれ直近7日間、すなわち11月の第3週と第4週における新規感染者数を比較しました(図3)。フランスでは約半減、イタリア、イギリスでもある程度減少していますが、ドイツや米国ではほとんど変化ありません。11月に入り、フランスやイギリスでは徹底的な都市閉鎖が全国的に行われ、イタリアでもかなり強い対策が取られました。一方ドイツでの対策は比較的緩やかでした。この対策の違いが、感染 図3 欧米5か国における11月第3週と第4週の新規患者数の増減に影響しているのでしょうか。仮にこれが正しいとしますと、日本の今の政策、経済活動を維持しながら感染も抑え込むという政策は、その目的とするところは十分過ぎるほど理解できるのですが、果たして有効なのでしょうか。「二兎を追う者は一兎をも得ず」というような結果に終わりはしないかと懸念されます。
 以上の結果より、欧米人に比べ私たち日本人は、新型コロナにはかかり難いのかも知れませんが、かかったらやはり重症化します。特に高齢者は・・・。私たちはこの冬、マスク着用、手洗い励行、三密の回避という基本に戻り、コロナには絶対かからないという強い意志を持って臨まねばなりません。少なくともワクチンが行き渡るまでは・・・。

 

 さて今月は少し趣向を変えて秋の野に潜む厄介者、野草の実「くっつき虫」です。子供の頃、野原で夢中になって遊んで帰宅しますと、ズボンやシャツの腕のところにいっぱい実がくっついていて、洗濯しても落ちないし、指で11個つまんで外すしかなく、母親によく叱られました。「くっつき虫」あるいは「ひっつき虫」は、動物に付着して自分の分布を広げる野草の実(果実)の俗称で、他にも「ばか」「どろぼう」「げじげじ」「毛虫」「ちくちく」「ひっつきもっつき」など全国各地でいろいろな呼び方があります。「くっつき虫」にはたくさんの種類がありますが、ここでは私の確認できた4種について概説します。

1)アレチヌスビトハギ
 アレチヌスビトハギは、マメ科ヌスビトハギ属の植物で北米原産の帰化種ですが、在来種としてヌスビトハギもあります。我が家の近くの野原には圧倒的に前者が多いようです。 マメ科の花に共通した蝶形花冠と呼ばれる形の桃色の小さな花を咲かせますが、ヌスビトハギ(盗人萩)とは如何にも気の毒な名前です。由来は、結実するえんどう豆のような莢(さや)が、忍び寄る盗人の足跡に似ているからと云われます。莢の形は、ヌスビトハギではくびれが1つで2個の節果に分かれますが、アレチヌスビトハギでは36個の節果に分かれ、その形の違いから両者を識別することができます。

アレチノヌスビトハギの花と莢(さや)の群

蝶形花冠の形をした桃色の可愛い花です

莢は3~6個の節果に分かれます

莢の表面を埋め尽くす屈曲した無数の小さな毛

2)コセンダングサとアメリカセンダングサ

 センセンダングサ(キク科センダングサ属)には幾つか種類がありますが、そのうちで私たちが最もよく見かけるのはコセンダングサ、ついでアメリカセンダングサです。いずれも外来種ですが、ここでは両者の違いについて概説します。

コセンダングサの花

 

アメリカセンダングサの花

 黄色の筒状花の基部にある総苞は、コセンダングサでは小さく目立ちませんが、アメリカセンダングサでは葉のように大きく四方へ開きます。花を支える茎は、コセンダングサでは緑色ですが、アメリカセンダングサでは暗赤紫色をしています。

コセンダングサの果実

アメリカセンダングサの果実

 センダングサの実(果実)はそう果と呼ばれる部分が集まって成り立っています。

 

 

コセンダングサのそう果

アメリカセンダングサのそう果

 コセンダングサのそう果は4稜あり、先端にある24本の冠毛には、逆向きの棘(逆刺)がついています。アメリカセンダングサのそう果は扁平で、先端の2本の冠毛に逆刺がついています。

4)オオオナモミ 
 キク科オナモミ属の外来種で、1929年岡山で初めて発見されたそうですが、現在では全国で広くみられるようになり、ひっつき虫の代表格と言えます。まゆ型の果実には、先の曲がった棘がたくさんついていて衣服や動物の毛などにからまり付きます。

葉は5角形の面白い形をしています

まゆ型の果実がたくさん実ります

果実の表面に立ち並ぶ先端の屈曲した多数の棘

 

 話は変わりますが、ひと月ほど前、話題の映画「浅田家」(監督:中野量太、出演:二宮和也、平田満、風吹ジュン、妻夫木聡ほか)を観て来ました。津市出身の写真家浅田政志氏とその家族(両親と兄)による家族写真をテーマにした映画です。映画の前半は、家族4人で演じるコスプレ写真がテーマです。政志少年は父から譲り受けたカメラで写真を撮り始め、そのうち家族4人で様々な職業人に仮装してコスプレ写真を撮ります。例えば父がほんとうはなりたかった消防士、兄の憧れだったカ―レーサー、空き巣に入ろうとする泥棒一家、やくざの親分と子分、選挙カーに乗って叫ぶ代議士と運動員など、いろいろな職業を4人が役割分担してコミカルな写真を撮ります。一家4人が真剣にコスプレ写真を撮る、こんな家族はあまりないでしょう。そんな面白可笑しい写真をまとめた写真集「浅田家」が、写真界の芥川賞と云われる木村伊平写真賞を受賞します。後半は、東日本大震災における家族写真がテーマです。家族写真家として知られるようになった政志氏は、全国各地から家族写真の撮影を依頼されるようになります。そんな折、東日本大震災が起こり多くの人命が失われ、家屋などが流失しました。かって家族写真を撮ったことのある一家の安否を確かめるために、被災地へ赴きボランティア活動を始めます。そこでの仕事は、津波により流された所有者不明のアルバムから写真を取り出し、泥汚れを洗浄して壁に並べ、探しに来た所有者に返還するというものでした。そこにはたくさんの家族写真があります。全員無事の家族であれば、自分たちの写真が戻ってきたことに歓喜します。津波で行方不明となった家族の写真を見つけて泣き崩れる被災者もいます。被災地における人々の悲喜こもごもがやさしく描かれます。家族写真を通じて、家族の愛や絆の大切さを改めて考えさせられます。映画は、この10月、第36回国際ワルシャワ映画祭で、日本映画として初めて最優秀アジア映画賞に輝きました。

 私は45歳の頃から、妻は生まれた時から津市に住んでいます。映画の出演者たちの言葉は、津育ちの私たちが聞いても何の違和感もないほど完璧な伊勢弁(津弁)でした。映画をプロデュースした鈴鹿市出身の小川真司氏が、徹底的に方言指導をされたそうですが、それは見事でした。カッコイイ二宮君や、私たちの若い頃アイドルであった風吹さんが、私たちと一緒の言葉をしゃべっている、それが不思議でした。
 また映画では、私たちが子供の頃よく遊んだ懐かしい場所が次々に登場します。津のヨットハーバーの南側に拡がる阿漕浦は遠浅の砂浜で、夏にはよく海水浴に出掛け、沖へ突出する突堤でよく魚釣りをしたものでした。国宝高田本山専修寺(せんじゅじ)は、私はその附属中学校へ通っていましたので、境内でよく遊びました。津新町駅は、高校時代電車通学していた妻が毎日乗降していた駅です。いずれも懐かしい静かで のんびりした地方都市の景観です。
 ところで阿漕浦には、江戸時代から伝わる平治伝説があります。
 江戸の昔、阿漕浦に平治という貧しいけれど親孝行な漁師が住んでいました。病気で臥せっている母親に、阿漕の海で獲れるヤガラという魚を食べさせると良いという話を聞きます。しかし当時阿漕浦は、神宮ご用の禁漁区であり漁は禁じられていました。それでも何とかして母親にヤガラを食べさせてやりたいと思った平治は、毎晩夜陰に乗じてヤガラを密漁し、母親に食べさせます。母親は日増しによくなって来ましたが、ある晩、浜に「平治」の名前の入った菅笠を忘れてしまいます。それを見つけられた平治は、簀巻きにされて阿漕浦沖に沈められました。やがて母親も死にますが、平治の恨みからでしょうか、沖でヤガラを獲るための網を引く音がいつまでも聞こえます。そこで平治の霊を慰め孝行心を讃えるために、天明年間に阿漕塚が建てられ、今でも近所の人たちの参拝が絶えないそうです。

阿漕塚

阿漕浦の突堤の先端に建つ赤い灯台

 津の銘菓、平治煎餅は、平治の忘れ笠をかたどったお菓子です。1913(大正2)年創業で、私たちにとっては子供の頃より慣れ親しんで来た、さっぱりした甘さの煎餅です。
 平治煎餅と云えば、私には懐かしい思い出があります。

 中学校の頃、熱烈な吉永小百合ファンでした。ある時、思い立って小百合さんにファンレターと平治煎餅を送ることにしました。平治煎餅の箱を厚紙で包んで麻ひもで結び、表に宛名を書いて小包として郵便局の窓口へ出しました。そうしたら係りのおじさん(私は記念切手が発売されるごとに買いに行っていましたので、恐らくおじさんは私の顔を覚えていたと思います)が、宛名に吉永小百合とあるのを見て、何も言わず私の顔をまじまじと眺めます。その時の恥ずかしかったこと、今でもおじさんの眼鏡越しの上目遣いの眼差しをはっきり覚えています。

平治煎餅

 

 しばらくしますとお返しにと、小百合さんからサイン入りブロマイド3枚が送られて来ました。宝物としてずっと大切に保管していましたが、残念ながらいつのまにか紛失してしまいました。今となれば微笑ましい、自分の勇気を誉めてやりたい思い出です。
今回はローカルで個人的な話となってしまいました。
くれぐれもコロナにはお気を付けください。                          
                              令和2126

                 桑名市総合医療センター理事長 竹田 寛 (文、写真)
                                竹田 恭子(イラスト)

               

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