名誉理事長の部屋令和6年9月1日付で、竹田寬先生に名誉理事長の称号が授与されました。

名誉理事長の部屋

10月 りんどう(竜胆)

-初秋の一番風、ひんやり、夏のほてりを冷ます心地よさ-
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  今年も夏が終わりました。皆さんは如何過ごされましたでしょうか。夏の終わり、楽しく遊んだ日々を懐かしく思い出されている方も多いのではないでしょうか。
  若い頃には誰もが、夏休みも終りに近づきますと、寂しい思いをしたことと思います。友達と海へ泳ぎに行ったり、山でキャンプしたり、一日中夢中になって遊んだりしたことが懐かしく思い出され、もう戻らない過ぎ去った時を偲んで感傷的になりました。楽しかったことはすべて終わり、愉快に遊んだ仲間もどこかへ行ってしまった、喪失感にも似た寂しさを感じたものでした。夏の終わりに誰もが感じる寂寥(せきりょう)感ですが、還暦もとうの昔に過ぎ、残された時間の少なくなってきた私にとっては、以前とは少し変わって来たように感じます。
  夏の終わりのある日のことです。朝からよく晴れて雲一つありません。昼下がり、私はいつものように自転車に乗って郊外へ出掛けました。広大な田園地帯の中を黙々と走ります。たわわに実った稲穂が一面黄色く色付き、所々稲刈りも終わっています。陽射しにはまだ夏のジリジリとした暑さが残っていますが、大気は澄んで乾燥し、自転車で斬る風は涼しく感じます。空は青く高く、山々の稜線は明瞭な輪郭を描きます。はるか遠くの連山の尾根には、並び立つたくさんの白い風車がはっきりと見えます。近くの山では、微妙な濃淡のついた深緑色の山肌が、折れ線グラフのように不規則な起伏を描きながら、太陽の光を柔らかく受け止めます。黄緑の稲穂の大海原の向こうには、数軒の民家が建ち並んでいます。ふだんは霞んでいることが多いのですが、澄み切った空気はまるで何もない真空のようで、家々の白い壁や赤茶色の瓦が、いっそう鮮やかに浮かび上がります。ペダルを踏む私の影もくっきりと黒く、稲刈りを終えたばかりの田圃に長く伸びます。風は無く、稲穂も草も揺れず、音も聞こえません。動くのは私だけです。透き通った大気の中で、何もかもが輪郭も色彩も鮮やかになって静止している、一瞬時間が停まったかのような錯覚を覚えます。移ろいゆく美しい光と色彩の世界を、瞬時にしてキャンバスに閉じ込めた印象派の絵画を見るようです。夏の終わりの一瞬の澄明と静謐(せいひつ)の世界、私はこの光景を目の当たりにして、ふとこんなことを考え寂しくなりました。「残された時間の中であと何回、こんな素晴らしい日に、こんな完璧とも云える光景に出会うことができるだろうか・・・。」
  もちろん昔のことを偲ぶことも多々ありますが、今、刻一刻、時の経過してゆくことに心奪われる日が多くなって来ました。夏の終わり、若い頃は過ぎ去った昔を懐かしみ、年を取るにつれ、過ぎゆく今を惜しむようになるのでしょうか。
rijityou10-3  りんどう(竜胆)は、古くから日本人に親しまれて来た秋の花だと思っていましたが、奈良時代には余り人気が無かったのか、山上憶良の選んだ秋の七草にも入っていません。万葉集には、「おもいぐさ(思い草)」として一首に登場するだけだそうです。

           道の辺の 尾花が下の 思い草 今さらさらに 何をか思はむ
                                                                                 
 詠み人知らず
(道端のすすきの根元で寄り添うように咲く思い草のように、あなたを想う気持ちは変わりません。今さら何を思い迷うことなどありましょうか)

  ただしここでは思い草のことを「蔓(つる)りんどう」と解釈していますが、通説では「ナンバンギセル(南蛮煙管)という植物を指すことになっており、通説に従いますと一首もないことになります。平安時代になってようやく、清少納言の枕草子に登場します。

竜胆は、枝さしなどもむつかしけれど、こと花どもの、みな霜がれたるに、いとはなやかなる色あひにてさし出でたる、いとをかし。
                                                  (第64段「草の花は」より抜粋)
(りんどうは枝ぶりは良くないが、他の花が皆霜枯れしてしまう頃に、華やかな色彩で咲き出すのが、実に趣がある)

 

 確かに現在でも、赤や黄と賑やかだった夏の花が消えかける頃、花屋さんの店頭に「りんどう」が並びます。残暑にうんざりしていた私達にとって、爽やかな青紫の花を目にしますと、突然一陣の秋風に吹かれたような気がします。夏の「ほてり」をひんやり冷やしてくれるような心地よさを感じます。「りんどう」は初秋の訪れを告げる一番風なのです。
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「りんどう」の種類は多く世界には400種とも1500種ともあると云われます。そのうち日本には、「ミヤマリンドウ」「エゾリンドウ」「ツルリンドウ」など約18の固有種があるそうでが、花屋さんでよく見かける「りんどう」は、「エゾリンドウ」を改良した園芸種だそうです。伊勢の朝熊山には、「アサマリンドウ」という固有の野生種があるそうです。

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「りんどう」の花の内部

「りんどう」は漢字で「竜胆」と書きますが、これは「りんどう」の根から作られる漢方薬が、同じ苦味健胃剤で有名な「熊の肝(くまのい)」よりもさらに苦いことからこの名前が付いたと云われます。「りんどう」は筒状の花ですが、ふだん目にする時には開花していないことが多く、花の内部がどうなっているのか、知らない方も多いかと思います。そこで開いている花を探して内部の様子を撮影しました。写真のように中心には緑色の子房があり、その上に先端が二分された白い「めしべ」があります。「おしべ」は5本で、360度方向に均等に拡がっています。面白いのは、花弁の裏側です。
白い背景に、多数の細かな青紫色の斑点が2列になって縦に並び、四方の壁を飾ります。外から見ただけでは、内にこんなお洒落な模様があるとは想像もつきません。
 下の写真は花弁の白い園芸種の「りんどう」ですが、開花したばかりの左の花では、多数の葯(花粉)を付けた「おしべ」は中心に集まって束になっています。この時「めしべ」は未熟で小さく、「おしべ」の束の中に隠れています。開花してから時間が経ちますと、右の花のように、「おしべ」は四方へ拡がり花粉もかなり落ちています。代わりに「めしべ」が成長し、虫などを介して他の花からの花粉を受けます。このように初めに「おしべ」、後から「めしべ」が成熟することにより自家受粉を防いでいるのです。これを「雄性先熟」と云い、「ききょう」などでもみられます

開花直後の花                 開花してから時間の経った花

「りんどう」の花は晴れた日の昼間しか開かず、曇や雨の日は開花しないのだそうです。そこで幾つか実験をしてみました。まず室内灯の明かりに反応するかどうか調べました。晴れた日の午前、「りんどう」の花を室内の窓から離れた場所に置いて直射日光に当たらないようにし、室内灯を照らして2時間観察しました。しかし花は開くどころか、全く反応しませんでした(写真右上)。
 次に戸外へ出して直射日光に当ててみました。すると30分、1時間と経過するうちに少しずつ開き始め、2時間後には右下の写真のように半分ほどの花が開きました。すなわち「りんどう」の花は、電灯には反応せず太陽の光を直接当てることにより開くことが分かりまた。

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室内灯に2時間照らされた花

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直射日光の下で2時間経過した花

   今年2月に本連載で取り上げました福寿草では、深夜、暗い中で閉じていた花が、室内灯をつけて2時間もすればどの花も満開になりました。なぜ「りんどう」の花は、室内灯では開かず直射日光にだけ反応して開くのでしょうか。太陽の光により温められることも開花につながる重要な因子なのでしょうか。興味深いことです。自然界には、植物や動物はもとより青空、夕焼け雲、コバルトブルーの海など、様々な美しい色彩があふれています。 私達は幼い頃、偶然に心惹かれる色に出会い、強い愛着を感じるようになり、自分の原点の色として大切にしながら生涯を過ごしていくのではないでしょうか。私にとって原点と思われる色は、青紫あるいは藍(あい)色です。これは以前にも書きましたが、私が幼い頃毎晩のように着ていたネル(フランネルのこと)の寝間着の色が藍色だったからではないかと推測しています。ネルのやさしい肌触りと藍色の穏やかな色調が心になごみ、忘れられなくなったのでしょう。その後成長して同じような色、例えば羽根突きの羽根の中の藍色、「れんげ」の赤紫色、「りんどう」の青紫色、桔梗の藍色などに出会った時、瞬時に心懐かしいものを感じました。
 小学校の頃は昆虫採集に熱中して、夏休みには毎日のように近くの山や野原へ出掛けては虫を採っていました。その中で、強く惹かれた色の美しい昆虫が二つありました。
 一つはギンヤンマです。私はトンボが好きで、毎日いろいろなトンボを捕まえて来ては、家の庭の片隅に作った自分の背丈よりも高く、小鳥でも飼えそうな大きな籠(かご)の中へ放って飼育しようとしました。しかしたいていは2,3日のうちに死んでしまいました。なかでも好きだったのはギンヤンマで、美しい水色のお腹をしたオスのギンヤンマが上空高く旋回しているのを見ると、心ときめいたものでした。私達が小学生の頃は、まだ街のあちこちに葦などの水生植物の生えた溜池や湖沼地がありました。

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ギンヤンマ(オス)

夏の終わりから秋にかけて夕方になりますと、水を求めてか、あるいは交尾相手を探してか、ギンヤンマがやって来ます。短い棒の先端に結び付けた紐の先におとりのギンヤンマを結び、棒を上手く操って、トンボが私達の頭の上でグルグル輪を描いて飛ぶようにしてやります。すると、おとりに惹きつけられてギンヤンマが寄って来るのですが、それをタモで捕まえようとしても、その俊敏さは並大抵のものではなく、小学校低学年の間はなかなか捕えられません。高学年になってようやくタモに入るようになりましたが、タモの中で暴れるギンヤンマの羽根が、擦り合う音を聞いた時の興奮は、今でも忘れられません。大勢の大人や子供達が池を取り囲んでヤンマ採りに熱中しました。秋の夕暮れ時ですから寒さでガタガタすることもありましたが、それでも我慢して空を見上げていました。今想うと可哀そうなトンボ採りでしたが、夕焼けの空を舞うギンヤンマのお腹の水色の美しさを、今でもはっきりと覚えています。 
 もう一つはハンミョウという小さな虫です。夏の終わりから秋にかけて、野原や山中の小道を歩いていますと、突然足元から小さな虫が跳び立ち、2~3m前方まで飛んでは、こちら向きになって停まります。そのまま歩いていきますと、また同じように跳び立って前方に停まります。

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ハンミョウ

このようにして野道を歩く私達の道案内をしてくれているようですので、「道しるべ」とも云われます。ハンミョウはオサムシ科またはハンミョウ科の甲虫で、体調2~3cmの小さな虫です。頭部は青緑色に光り、背中には紺色の地に紅い帯や白い斑点がみられます。捕まえて顔を近づけますと、リンゴのような甘い香りがします。この虫の美しい色彩と甘い香りに魅せられて、夢中になって捕ったものでした。
 私達は子供の頃、身の回りにある自然の中で遊びながら、自然界には様々な美しい色のあることを、実際自分で体験し自分の目で見て学びました。また捕らえてきた昆虫と遊んだり、餌を与えて飼ったりして、自然に昆虫に愛情を感じるようになりました。今の子供達は、昆虫のことをテレビの画面や図鑑などから学ぶのでしょうか。いわばヴァーチャルの世界、時代の流れであり仕方ないと云えば仕方ないのですが、やはり寂しい気がします。秋になるとギンヤンマが夕暮れの空に舞い、ハンミョウが山の小道で跳ねる、ごく当たり前だった自然が消えてしまった今、これからの子供達はどのようにして自然の面白さ、大切さを体験するのでしょうか。

 少し古い歌ですが、島倉千代子(1938年~2013年)さんが歌って大ヒットした「りんどう峠」という歌謡曲があります。島倉さん17歳の時に歌った曲です。

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りんどう峠

作詞:西条八十 作曲:古賀政男

りんりんりんどうの 花咲くころサ

姉サは馬コで お嫁に行った

りんりんりんどうは 濃むらさき

姉サの小袖も 濃むらさき

濃むらさき ハイノハイノハイ

 

 

 

 馬に乗って嫁いでゆく姉との別れを悲しむ妹の気持ちを「りんどう」の花に託して歌っています。1955年に発表されたとのことですから、私が6歳の頃です。戦争が終わって 10年、生活はようやく落ち着きつつありましたが、高度成長期に入る前で、まだまだ貧しかった頃です。どこの家庭にもテレビは無く、娯楽と云えばラジオだけの質素な生活をしていました。その頃までの日本では、嫁入りと云えば村や町の一大行事であり、花嫁行列がつきものでした。童謡の「雨降りお月さん」や「花かげ」、歌謡曲の「潮来花嫁さん」「瀬戸の花嫁」などにあるように、花嫁行列の中で花嫁は、歩いたり、馬や車あるいは舟に乗ったりして嫁いで行きました。「りんどう峠」の中で島倉さんは、馬に乗って遠くへ行ってしまう姉を見送る妹の悲しい気持ちを、暗くめそめそせずに高い声で明るく歌っています。若い頃の島倉さんは、純真な乙女心を素直に飾らず、どちらか云うと明るい調子で歌いました。そこに多くの人々が魅了されたのでしょう。1958年に出された「からたち日記」(西沢 爽作詞、遠藤実作曲)は、まさにその真骨頂とも云うべき作品で、別れた初恋の人をいつまでも想う乙女の純粋な気持ちを、美しい高音で歌い上げています。高い音が無理なく自然に出るのも、島倉さんの歌手としての才能の高さを示しているそうです。 この曲は私の愛唱歌の一つでもあり、二次会のカラオケでもよく歌います。
 歌謡曲や演歌でも、義理人情とか色恋とかではなく、自分の感情や気持ちを素直に歌った曲を「抒情歌」あるいは「抒情歌謡」と呼ぶそうです。童謡や唱歌に近いのかも知れません。好きな抒情歌は何かと問われれば、私は迷わず「りんどう峠」と「からたち日記」そして美空ひばり(1937年~1989年)さんの「りんご追分」を挙げます。「りんご追分」は1952年、小沢不二夫作詞、米山正夫作曲により作られましたが、津軽のりんご畑で働く娘の東京で死んだ母親を想う心情を、じっくり心を込めて歌っています。これら三曲はいずれも古い歌ばかりですが、私はスタンダードな歌謡曲として将来も残って行く名曲であると確信しています。

 さて病院の話題です。今回は南医療センターで働く薬剤師の皆さんをご紹介致します。南医療センターの薬剤部は、東や西医療センターに比べると規模は小さく、薬剤師2名、調剤助手1名で業務を行っています。主な業務内容を以下に記します。

1)すべての入院患者さんを対象にして、投与薬剤の説明や指導を行うことと、投与薬剤の量や投与方法に間違いはないかチェックすることを目標としています。現在のところ目標の90%以上、すなわち薬剤管理指導の実施率90%以上の実績を挙げています。

2)平成24年度の診療報酬改定により病棟薬剤業務実施加算が新設されました。これは 入院患者さんに投与される薬剤の管理を徹底化するために、病棟に専任の薬剤師を配置することを促す厚労省の方針です。そこで南医療センターでは、病棟に専任薬剤師を1名配置して、薬物療法の安全性と有効性を高めるように努めています。
3)南医療センターでは、心臓のカテーテル検査や、心筋梗塞、狭心症のカテーテルによる治療が盛んに行われています。その中で薬剤師は、患者さんの服薬指導や投薬管理、処方設計などに深く関わっています。

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南医療センター薬剤部のスタッフ                  (左から出口裕之、青谷里香、河村理沙の皆さん)

4)今年8月から電子カルテが導入され、薬局でもカルテが閲覧できるようになりました。より正確な患者さんの情報が得られるようになり、刻々変化する患者さんの状態に即応して投与薬剤を調整するなど、質の高い薬学的管理が可能になりました。同時に病棟や救急外来などに常備する薬剤を常に適正な数になるように調整したり、期限切れ薬剤のチェックや採用薬品の見直しなどの薬品管理も行っています。
5)新しい医薬品に関する情報収集も大切な業務の一つです。通常多くの病院では、業務終了後に薬剤師だけを対象にして、医薬品メーカーから新薬の説明を受けています。 当センターでは朝の業務開始前に医師と合同で説明を受けるようにしていますが、こうすることにより説明会が長引くことを防止し、また医師と薬剤師間の情報共有が促進され、新薬に対する共通認識が高まります。

 南医療センターは小規模なこともあり、医師、看護師、薬剤師、技術職員、事務職員など職種間における垣根が低く、家族的な雰囲気の中で連携のフットワークの軽いのが特徴です。これからも患者さんに真に喜んでいただける病院をめざして張り切っていますので、どうぞよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

桑名市総合医療センター理事長 竹田 寛   (文、写真)
                           竹田 恭子(イラスト)

 

 

 

 

 

 

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