9月夾竹桃(きょうちくとう)
―終戦の日、青い空と入道雲と紅い花―
今年の夏も暑かったですね。とくに7月下旬から8月上旬まで雨が少なく、余計暑く感じたように思います。ジリジリと8月の太陽が照りつける街中や郊外で、暑さをものともせず元気に花を咲かせているのは、木槿(むくげ)、夾竹桃(きょうちくとう)、百日紅(さるすべり)などでしょうか。なかでも夾竹桃は、大きな木に赤桃色や白い花をたくさん咲かせて、夏の青い空と入道雲によく映えます。うだるような陽射しを浴びてもうなだれることなく平然として咲いている姿は、暑さを超越した麗人のようで、どこか涼しげにみえます。そこで今月の花は、夾竹桃を取り上げました。
初めに今年の猛暑についての話題です。最高気温が35℃以上となる日を猛暑日と云いますが、今年は全国各地で猛暑日の連続記録が塗り替えられました。東京では8日連続猛暑日が続き、1875年に気象庁が観測を初めて以来、最長の記録となったそうです。それまでの最長記録は4日だったということですから、やはり暑かったのですね。
ところで桑名市ではどうだったのでしょうか。図1をご覧ください。桑名市における最近6年間の猛暑日、真夏日(最高気温が30℃以上)、熱帯夜(最低気温が25℃以上の日)の日数の推移をグラフにしたものです。
最近では熱帯夜という言葉は使わないそうですが、ここでは分かりやすくするために敢えて使わせていただきます。今年2015年の日数は8月29日までの数字ですが、猛暑日の数は2010年、2013年に次いで多いことが分かります。しかし真夏日や熱帯夜の日数は、過去6年間のうちで特に多いということはなく、どちらかというと少ない方です。桑名市に限って云えば、今年の夏が例年に比べ特別に暑かったと云う訳でもないようです。
それでは他の都市、特に全国的にも暑いので有名な岐阜県多治見市と、県の中央部に位置する津市と比較してみたらどうでしょうか。桑名市とそれら2都市における今年8月29日までの猛暑日、真夏日、熱帯夜の日数を図2に示します。
多治見市では8月1日に39.9℃という最高気温を記録しましたが、これは今年度の全国最高気温ランキングで1位になるそうです。予想通り多治見市では、猛暑日と真夏日の数は三重県の2都市と較べ格段に多いことが分かります。特に猛暑日は24日で、これも全国ランキングで群馬県館林市に次いで2位ですが、桑名市10日の2倍以上、津市2日の12倍にもなっています。一方、熱帯夜はどうでしょうか。桑名市20日、津市の31日と較べて多治見市ではわずか6日しかありません。多治見市では日中の気温が高い割に、夜は比較的涼しく過ごし易いと云えます。盆地特有の内陸性気候によるものでしょうか。一方、三重県は伊勢湾に面しているため、一日における気温変化の少ない海洋性気候に属します。したがって猛暑日は少ないのですが、熱帯夜が多くなります。熱帯夜の日数の全国ランキングは、40位ぐらいまでは沖縄や奄美諸島などの海に囲まれた島に位置する市町が占めていますが、津市は42位で本州の都市では横浜、千葉に次いで多いのです。桑名市では津市同様に熱帯夜が多く、しかも猛暑日も津市の5倍もあり、昼も夜も暑いということになります。やはり桑名は暑いのですね。
今年は8月前半まで夕立の少なかったことも暑く感じた原因の一つだと思います。1日中ギラギラ照り続ける真夏の太陽、風もなく雨も降らない、皆ただ押し黙ってじっと堪えるしかない、そんな夏でした。「こんな時に一雨あれば・・・」と誰もが思ったことでしょう。8月も中旬を過ぎますと雨の日も混じるようになり、先日ようやく夕立がありました。
妻の実家の庭掃除を終えて帰り支度をしていたところ、それまで青空の片隅でおとなしくしていた入道雲が、急にむくむくと張り出して来て空一面に拡がり、あっという間にあたり一面が暗くなりました。涼しい風がスーと吹いて来たかと思うと、突然ザアーと雨が降り始めます。広重の浮世絵に見るような真っ直ぐな太い雨です。と同時に稲妻、雷鳴です。ピカッ!しばらく間をおいてゴロゴロ!雷雲が近づくに従いその間隔は短くなり、閃光は鋭さを増し雷鳴も大きくなります。ついには、とびきり明るい稲妻が光ったと同時に、バシッ!と何かが切り裂かれたような鈍く激しい音が大地を震わせます。「近くに雷が落ちたかな?」「次は我が家に落ちるのでは?」と怖くなります。避雷針の無かった昔の時代の人達はさぞかし怖かったことでしょう。さながらビバルディのヴァイオリン 協奏曲「四季」の夏のあの鋭い弦楽器の響きです。その恐怖の時間を我慢して何とか過ごしますと、閃光も雷鳴も少しずつ弱くなり、時間間隔も長くなります。雨脚も弱まり「ああ、良かった。雷が過ぎて行った」。ほっと安堵した矢先、先ほどまでどこかに隠れていた小鳥達がいち早く飛び出し、元気にさえずり始めます。嵐が去って平和が戻ったのです。私は雨が上がるか上がらぬかのうちに、自転車で実家を飛び出し我が家へ急ぎました。屋根からは、まだ雫が垂れています。濡れた路面に爽やかな冷気が漂い、先ほどまでの猛暑が嘘のようです。雨に洗われた木々の緑が鮮やかに冴え、田圃では黄色く色付き始めた稲穂が雨に濡れていっそう頭を垂れています。入道雲の崩れた大きな雲の切れ目からうっすら夕陽が顔を出し、西の山影に伸びる細い雲を赤く染めます。里山の家々は美しく輝き、稲穂の雫がキラキラ光ります。夏の日の雨上がりのすがすがしい田園風景です。
歌川広重(1797年―1858年)は、ご存知のごとく日本を代表する浮世絵師で、かっては安藤広重とも呼ばれましたが、歌川姓で呼ぶのが正しいそうです。有名な「東海道五十三次」など風景画を得意とし、この「大はしあたけの夕立」は「名所江戸百景」の中の一枚です。「大はし」とは現在の隅田川に架かる新大橋のことで、その深川側の一帯が安宅(あたけ)と呼ばれていました。急に降って来た夕立に、背を丸めて急いで橋を渡ろうとする人々の様子が巧みに描かれています。縦長の画面に長く太い直線で描かれた雨脚が、夕立の激しさと躍動感を感じさせます。青と藍色の濃淡で示された川の色が美しく、「ヒロシゲのブルー」として世界中の画家から称賛されています。この絵は、印象派をはじめとする西洋の画家にも大きな影響を与え、ゴッホは彼独自の画法で模写しています。
ところでビバルディの四季ですが、私達の若かった頃はイ・ムジチ合奏団による演奏が定番でしたが、最近では、31才でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第1コンサートマスターに就任した樫本大進氏と、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席奏者らにより構成されるベルリン・バロック・ゾリスデンとの共演が素晴らしく人気もあります。特に樫本氏の精緻で緊迫感あふれるヴァイオリン演奏には圧倒されます。
さて夾竹桃の話です。花は桃に似て、細長い葉は竹に似ているからこの名が付いたと云われます。インド原産で、日本には江戸時代に伝わったそうです。公園や校庭の垣根、街路樹などとして好んで植えられ、夏の間の比較的長い期間、紅や白あるいはピンクや黄色の花を咲かせてくれます。乾燥や大気汚染など劣悪な環境でも育つため、自動車の通行量の多い高速道路や幹線道路の脇にもよく植えられています。どれだけ自動車の排気ガスに晒(さら)されても平然として咲いている逞しさが好まれるのでしょう。
夾竹桃の問題点は、花、葉、枝、根など全ての部分に、青酸カリよりも毒性が強いと云われるオレアンドリンという有毒物質を含んでいることです。口に入れると死に至ることもあるほど危険ですので注意が必要です。1975年にはフランスで、バーベキューをしていた7人の男女が死亡するという事故が起こりました。夾竹桃の枝をバーベキューの串に使ったため、火に焼かれてしみ出したオレアンドリンが肉や野菜にしみ込み、それを食べたのが原因だそうです。日本でも箸として利用して中毒事故が起こっています。生木を燃やした煙も有毒で吸ってはいけないし、夾竹桃の植えられている土壌にも毒性があり、腐葉土となっても一年間は毒性が残るといわれます。
では何故そんなに有毒な夾竹桃を、たくさんの子供や大人の集まる校庭や公園に植えるのでしょうか。実際に福岡市では、市内の学校に植えられている600本もの夾竹桃を伐採しようとしたこともあったとのことです。
確かに夾竹桃は危険ですが、対処のし方さえ間違えなければ心配ありません。逆にその毒性は、有害な虫や小動物たちを遠ざけてくれる働きがあるのです。
同じようなことが、墓にお供えする「しきび(樒)」(またはしきみ)でも言えます。「しきび」は仏事に欠かせない樹木で、寺や墓地の庭木としてよく植えられています。悪しき実(あしきみ)と呼ばれる猛毒の種を作りますが、この「あしきみ」の「あ」が取れて「しきみ」、さらにそれが「しきび」に変化したと伝えられています。
春に薄黄色の細長い花弁からなる花を咲かせる常緑小高木で、高さは10mほどになります。また木全体にも毒があり、それを嫌う野生動物や猫、犬などを墓から遠ざけると云われます。特にマムシ除けに有効だそうです。神事で用いられる「さかき(榊)」とよく似ていますが、葉がいろいろな方向に立体的に付いているのが「しきび」、平面的に付いているのが「さかき」です。
夾竹桃は8月に花の盛りを迎えますので、太平洋戦争の終わり頃、特に原爆について書かれた詩や歌に登場します。広島では、原爆のため70年は草木も生えないだろうといわれた被爆焼土に、翌年真っ先に紅い花を咲かせ、市民に復興への希望と光を与えてくれました。そのため原爆からの復興のシンボルとして広島市の花となり、「夾竹桃のうた」が作られました。
夾竹桃のうた
藤本 洋 作詞 大西 進 作曲
夏に咲く花 夾竹桃
戦争終えた その日から
母と子供の おもいをこめて 広島の 野にもえている
空に太陽が 輝くかぎり
告げよう世界に 原爆反対を
もう一つ「夾竹桃物語-わすれていてごめんね」という美しい絵本が誕生しました。広島の弁護士、緒方俊平氏が自ら文も絵も手掛けて2000年に出版した童話です。平和記念公園に立つ夾竹桃のお母さんがハトやカラスの子供たちに、原爆の落ちた日のことを語ります。原爆が落ちて火だるまになっている夾竹桃の叫び声を聞いて、瀕死の犬達が川へ入って全身を濡らし、夾竹桃の前でブルブルと体を振っては水を飛ばして火を消し止めます。ようやく生き残った夾竹桃が翌年の夏見事な花を咲かせます。人間だけでなくたくさんの動物や植物が原爆の犠牲になっている、生きとし生ける者の命の尊さを美しい絵とともに訴えた作品です。
絵本を読んで感動した三重県四日市市の会社役員福田昇二氏が、「少しでも多くの子どもたちに読んで貰い、平和の大切さを心に刻んで欲しい」と、毎年全国の子供達を対象に、この絵本を読んだ感想文や絵画、書道を募集しコンクールを行っています。優秀賞に選ばれた子供は、8月6日広島で開かれる平和記念式典に招待され表彰されます。2001年に始められたとのことですから、もう15年も続いていることになります。毎年数十人の子供が選ばれていますが、今年はタイからの友達も含めて50人が表彰されました。この絵本は市販もされていますが、「夾竹桃物語-わすれていてごめんね」絵画・書道・読書感想文事務局(四日市市堀木1-3-25 電話0593(51)1944)のホームページからダウンロードすることもできます。是非お読みください。
最後に病院の話題です。今回は西医療センターのリハビリテーション室をご紹介いたします。ここでは理学療法士3名と作業療法士1名が、各科の医師との連携を密にしながら、脳卒中などの脳血管疾患、骨折後の整形外科的な疾患、呼吸器系などの内科的疾患に対応しています。少人数ながら実に多種多様な疾患を対象としてリハビリ業務を行っているのです。また平成27年7月にはリハビリテーション室が5階から1階へ移動して広くなり、外来の皆様にも利用しやすくなりました。
整形外科領域のリハビリチームは、日本国内だけではなく海外に向けても情報発信を行っています。
毎年、国内外の学会での発表を行い座長も務め、数多くの論文を投稿しています。また当院で行っているリハビリをまとめた本が、今年「骨折の機能解剖学的運動療法」として出版されます。大学病院などの研究機関であればいざ知らず市中病院において、国内はもとより海外の学会にまで研究成果を発表し、しかもそれを本にまとめるということは、並大抵の努力でできるものではありません。室長の赤尾和則さんや研究チームのリーダーである松本正知さんらスタッフの皆さんの、不断の努力と情熱に深い敬意を表します。
近年リハビリテーション領域でも、筋肉や骨など体内の状態を視覚的に確認するために、超音波診断装置を導入する施設が増加しています。
この装置は妊婦さんの検診などでよく使われているもので、一般的にはエコーと呼ばれています。当リハビリテーション室では、他施設にさきがけ6年前の2009年より導入し、様々な疾患の病態を解明したり、体の回復状態の確認などに利用しています。彼らは、医学的な基礎を重んじて着実に学び、その上で新しいことに挑戦しています。そしてそこから得られた新しい情報や治療技術を皆様に還元することを目標としています。まだまだ発展途上にある彼らですが、どうぞこれからもよろしくご支援のほどお願い申し上げます。
桑名市総合医療センター理事長 竹田 寛 (文、写真)
竹田 恭子(イラスト)