7月:栗の花
―匂いは強烈ですが、穏やかでやさしい「おじさん」のようです―
7月に入り、再び新型コロナウイルス感染症が拡大して来ました。初めは東京や大阪が中心でしたが、またたく間に愛知や福岡、沖縄へと拡がり、今や全国的な感染拡大となりました。第2次の感染拡大と言っても間違いではないでしょう。私たちも、秋から冬にかけて到来するだろうと予想していましたがあまりにも早く来たことに驚いています。三重県でも1日あたりの新規感染者数は、7月下旬に入って急速に増加して月末には10人を超え、8月5日には過去最高の24人を記録、累計患者数も200人を超えました。患者さんの入院も、前回の感染拡大時には感染症指定病院7施設を中心として何とか収まりましたが、現在は県内20近くの病院で分担しています。いよいよ第2次の感染拡大、不穏な日が続きます。
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その要因として、記事には次の3つが挙げられています。
1)今回は若い人の感染が多く、重症化しやすい高齢者の感染が少ないこと。しかし最近では高齢者の感染も増えており、予断は許せません。
2)ウイルスが変異を起こして弱毒化したという説。イタリアより発表されましたが、まだまだ科学的に立証する必要があるそうです。
3)本疾患に対する治療法が進歩し重症化し難くなったこと。今までに本感染症に対して効果のあった治療法が世界中からどんどん報告されており、現場の医師達はそれを参考にして治療にあたっていますので、これは確かかも知れません。
いずれにせよ、やっかいな今回の感染拡大、お盆休みも吹っ飛んでしまいました。いつ収まるのでしょうか?あるいはこのまま続いて冬になり、インフルエンザと一体になって、さらに猛威を振るうのでしょうか。気になるところです。
そこで前回勉強しました再生産数(1人の感染者が何人の人に感染させるかという数。1以下になれば感染は収束していくことを示します)を調べてみました。
表1は、今回の感染拡大において感染者数の多い都道府県と三重県における再生産数を、ピーク時と8月8日の時点で比較したものです。 |
8月8日の再生産数は、いずれの自治体でもピーク時より減少し、とくに愛知や沖縄では激減しています。また大阪では1を切り、東京、愛知でも限りなく1に近づいています。ということは、東京、大阪、愛知では感染拡大は収まっていくのでしょうか。ほんとうであれば、これほど嬉しいことはありません。一方、三重県ではまだ2を超えていますが、これは感染拡大の始まる時期が遅かったためで、今後遅れて減少していくものと思われます。
再生産数に示される喜ばしい数字、再び上昇に転じることのないように祈るのみです。まさに再生産数様への神だのみ、どうぞよろしくお願い致します。
さて今月の花は栗です。栗はブナ科クリ属の植物で、北海道から九州まで広く分布し、高さが15m以上の大木にもなる、私たちになじみの深い木です。栗は雌雄同株ですので、雄花と雌花が同じ木に混在します。花は、梅雨時の6月、白く長い穂のようになって咲きますので、花穂と呼ばれます。花穂の満開となった栗の大木を眺めていますと、不思議な安定感があり、どっしりとした大人の雰囲気があります。ちょうど恰幅の良い「おじさん」のようです。穏やかでやさしく包容力があります。
花穂には、下の写真のように、雄花だけから成る「雄花穂」と、雄花と雌花のつく「帯雌花穂」があります。
それでは、雌花からどのようにして栗の実ができるのでしょうか。 |
少し時間が経って雄花が枯れる頃です(写真右)。雌花の部分を拡大したのが左の写真ですが、総苞のイガの突起が目立って来ました。 |
さらに突起は長くなり、ほとんど通常見かけるイガのようになっていますが、まだてっぺんには花柱が残っています。 |
栗の花粉は風で運ばれる風媒花と云われますが、それは70~80%ほどで、後は蜂などの虫でも運ばれるそうです。
また 栗は自家不結実性と言って、同じ品種の受粉ではほとんど実を結ばず、近くに異なる品種の栗を植えないと実が取れないそうです。
満開の栗の木の下に行くと、強烈な臭いにムッとなります。お世辞にも良い香りとは云えませんが、植物の精、生命力のようなものを感じます。「草いきれ」という言葉があります。夏の盛り,草の茂みに入っていきますと、草の熱気というか匂いに、同じようにムッとします。これは強い陽射しにより草の葉の表面が熱せられて外気温より高くなり、葉の表面からの蒸散が盛んになるために起こる現象です。ちなみに「いきれ」とは漢字で「熱れ」と書くそうで、「人いきれ」も人が集まっているところで感じる熱気です。高校時代にランボオの詩を習いました。原題は‘Sensation’、フランス語ですからサンサシオンと読むのでしょうか、感動とか感覚とか訳されています。中原中也、堀口大学、金子光晴などいろいろな作家が訳していますが、私が習ったのは永井荷風の訳によるもので、タイトルは「そぞろあるき」となります。
そぞろあるき
アルチュウル・ランボオ
蒼(あお)き夏の夜や
麦の香(か)に酔(ゑ)ひ野草(のぐさ)をふみて
小みちを行かば
心はゆめみ、我(わが)足さはやかに
わがあらはなる額(ひたひ)、
吹く風に浴(ゆあ)みすべし。
われ語らず、われ思はず、
われただ限りなき愛
魂の底に湧出(わきいず)るを覚ゆべし。
宿なき人の如く
いや遠くわれは歩まん。
恋人と行く如く心うれしく
「自然」と共にわれは歩まん。
(珊瑚集 永井荷風訳 岩波文庫より)
習ったのは高校3年生の時、国語の教科書か副読本に載っていたと思います。授業の終わりに感想文の宿題が出ました。その夜、詩を読み返してみますと、スーッと自然に心の中に入って来ます。私は詩には縁遠かったのですが、この詩は別でした。田舎の高校に学んだ私は、夏の夜は友人と一緒に郊外の里山まで自転車で出掛け、野道をよく歩きました。月明りの夜も、満天の星を仰ぎながらも、闇夜の中を恐る恐る歩いたこともありました。暑かった日中の名残りでしょうか、草叢から草いきれがむんむん漂って来ます。夢中になって友人と話しながら、時には黙って歩きました。虫の声が聞こえてはスッと静まり返ります。遠くの町では音もなく花火が上がっています。静寂の世界、その経験があったからでしょうか。さらにその頃、受験勉強で毎日鬱屈した気分で過ごしていた自分にとって、「われ語らず、われ思はず」「いや遠くわれは歩まん」「『自然』と共にわれは歩まん」という句に新鮮な驚きを覚えました。魂の解放されるような気がしました。自分の将来には、人間誰もが自由で情熱的で生き生きとし、心の底から信頼し愛し合える、そんな素晴らしい世界がきっと待っているに違いないと夢見ていました。
感想文にどんなことを書いたか、さっぱり思い出せませんが、とにかく夢中になって書きました。次から次へと浮かんで来る文章や言葉を、そのまま素直に書き続けました。あれほど無心に文章を書いたのは、あの時が初めてで、それ以後もありません。いわゆる「筆が走る」という状態だったのでしょうか。「深い井戸の底を覗き込んだような・・・」という一文を書いたことだけ覚えています。その夜遅くまでかけて仕上げた感想文を翌日提出しました。数日後、国語の時間に感想文が返却されました。ちょっぴり皮肉屋さんで通っていた男性の先生が、生徒一人ひとりに感想文を手渡しながら講評するのです。いよいよ私の番です。名前を呼ばれて教壇まで進みますと、先生は大きな声でこう言われました。「この感想文は素晴らしい!」私はすっかり嬉しくなりました。一生懸命書いたし、少しは自信もあったからです。ところが先生は続けます。「ただし、ほんとうに自分で書いたものならば・・・?」私は唖然としました。「どういうことやろ?」一瞬、頭の中が真っ白になりました。今の若い人なら即座に「自分で書きました」と反論することでしょう。ところが当時ニキビに悩まされていた気弱な少年は、何も言えず、なぜかしら恥ずかしくなって顔が真っ赤になり、うつむいたまま席に戻りました。なぜ恥ずかしくなったのでしょうか。それも今となっては分かりません。席に座ってしばらくしますと「あれだけ一生懸命書いたのに・・・」という思いがこみ上げて来て、自分が情けなくなり、泣き出しそうになりました。
今となっては懐かしい、そんな思い出のある詩です。
ちなみに中原中也の訳では次のようになります。
感動
中原中也訳
私はゆかう、夏の青き宵は
麦穂臑(すね)刺す小径の上に、小草(をぐさ)を踏みに
夢想家・私は私の足に、爽々(すがすが)しさのつたふを覚え、
吹く風に思ふさま、私の頭をなぶらすだらう!
私は語りも、考へもしまい、だが
果てなき愛は心の裡(うち)に、浮びも来よう
私は往かう、遠く遠くボヘミヤンのやう
天地の間を、女と伴れだつやうに幸福に。
(青空文庫より)
アルチュウル・ランボオ(1854-91年)は19世紀のフランスを代表する早熟の天才詩人です。15歳から5年の短い間に、「酔いどれ船」「地獄の季節」「イリュミナシオン」など従来の詩の概念や伝統を大きく変える革命的な詩集を発表し、シュルレアリズムへの道を切り拓きました。家出と放浪を繰り返した生き方も、若い人達から人気を博し、私たちの学生時代にはランボオ気取りの友人もいました。37歳の若さで亡くなりますが、私の知る限り、37歳で没した芸術家はゴッホ、ロートレック、宮沢賢治に続いて4人目になります。
さて再びコロナ感染に関するお話です。三重県病院協会では、県内の90医療機関を対象に、この春の新型コロナウイルス感染症により診療や経営面においてどの程度影響を受けたかアンケート調査をしました。70病院から回答(回収率78%)を得ましたので、その集計結果の概要を簡単に報告致します。
まず病院を2群に分けます。新型コロナウイルス患者が入院した感染症指定病院と、本症の疑われる患者の外来診療を行った帰国者・接触者外来設置病院、すなわち直接患者の診療にあたった病院をA病院群、それ以外の一般病院や精神科病院をB病院群とします。
また診療や収支の増減は、今年4、5月の実績を、昨年の同期と比較したものです。
1)診療における影響
・大多数の病院において、今年の外来患者数、入院患者数、手術件数、救急患者数の実績は昨年よりも10~30%減少し、とくにA病院群で顕著な傾向にありました。B病院群でもかなりの減少をみましたが、これは市民の皆さんの病院控えが影響したように思われます。
・診療実績の減少は、病床数の少ない小規模病院でも大規模病院と同じようにみられました。
・外来患者の減少の方が入院患者の減少よりも大きい傾向にありました。
2)経営における影響
・病院収益は90%の病院で減少し、0%から20%までの減少を示した病院が3/4を占めました。この減収は、病院の種類や規模に関係なく、ほとんどの病院で同じようにみられました。
・一方、病院経費については、減少しなかったと回答した施設が30%もあり、また減少した病院でも10%以内であったのが半数を占めています。
・以上の収支の結果は、収益は大きく減少したが、経費はあまり減らなかったことを示しています。経費に関しては、診療材料費は減少したものの人件費は変わらず、感染対策や医療材料などの買い置きに要した費用などがかさみ、経費が減らなかったものと推測されます。
・その結果、どの病院においても収入より支出が上回り、苦しい経営状況に陥っています。
3)職員の待遇
・今夏の賞与は8割以上の病院で現状維持でした。ことにA病院群では、すべての病院で賞与は据え置かれ、最も危惧された退職者や休職者あるいはそれを希望する者は、1施設で1人から2人いただけでした。
以上簡単ではございますがご報告申し上げます。
令和2年8月
桑名市総合医療センター理事長 竹田 寛 (文、写真) 竹田 恭子 (イラスト)