名誉理事長の部屋令和6年9月1日付で、竹田寬先生に名誉理事長の称号が授与されました。

名誉理事長の部屋

6月:水田(みずた)

―水面(みなも)に映える青い空、白い雲、緑の山、はるか遠くに過ぎ去った夏の日―

広大な水田に映える青い空と緑の山の美しい鏡面像

 この6月も日本全国新型コロナウイルス感染一色でした。415日に全国に拡大された緊急事態宣言は、患者数の減少とともに525日には全面的に解除され、6月には他県への移動制限も緩和されました。その後、新規感染者はさらに減少し、全国的には散発的に発生するだけになりましたが、東京だけがくすぶるように20人台を維持し、どうなるものかと心配していました。案の定、その後日が経つにつれてその数は増加し6月下旬には50人を超え、7月に入るや否やとうとう100人以上になってしまいました。東京に隣接する県でも後を追うように患者数が増え始め、早くも第2波の拡大が訪れたのではないかと、予断の許さない状況が続いています。
 ところで再生産数(reproduction number)という言葉をご存知ですか。最近時々耳にしますが、どのような意味でしょうか。再生産数とは、ある病原体を有する一人の感染者が、直接何人の人に感染させるかという数字です。もし2人に感染するとすればその値は2となり感染は拡大していきます。逆に1より小さければ収束していくことになります。今、ある病原体の保菌者が、その病原体に対する免疫を持たず、感染を予防する対策も講じられていない集団の中へ入って行ったとします。その時の感染状況を示す値を基本再生産数(R0)と云いますが、これはその病原体の感染方法や感染力の強さに依存するということができます。

 主なウイルスのR0値を右表に示します。空気感染をする麻疹や百日咳では、飛沫感染をする風疹やインフルエンザに比べ数倍高くなります。新型コロナウイルスで今のところ1.4-2.5と云われています。

新型コロナウイルス感染症対策専門家会議 資料 「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」(令和2年5月29日)より引用、改変

 しかし実際の社会では、マスクの着用や三密の回避、さらにワクチンの投与などの予防対策が講じられますので、その値は一般に低下します。それを実効再生産数(Rt)と云います。そこで、この1月から5月までの日本おける新型コロナウイルス感染の状況を、このRt値を用いて振り返ってみましょう。左図をご覧ください。黄色の棒グラフは患者数、その下方にある黒い部分が海外からの流入患者数です。青い曲線がRt値の推移を示し、Rt=1のところに横線が引かれています。日本では患者数の少なかった1月下旬から3月上旬までの間は、Rtの値は1を超えて大きく変動しています。これは諸外国では次から次へと爆発的に患者数が増えたのに、日本では入国制限をしていなかったため、感染拡大の恐れのあったことを示しているのでしょうか。日本での患者数が急速に増え始めた3月上旬以降はRt値も上昇し最高で3近くにまで達しています。その前後より、一斉臨時休校、イベント自粛、入国制限強化、緊急事態宣言などの措置が次から次へ講じられ、4月入ってRt1を下回るようになり、5月の連休まで続きます。このままで行けば感染は収束していくことになり、政府の講じた対策は一応効を奏したことになります。 
 このRt値を1以下にすることが新型コロナウイルス感染を制御する目安になるということで最近注目され、東洋経済online (https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/) web上で全国および各都道府県の毎日のRt値をレアルタイムに表示しています。それによりますと、4月以降1以下となった全国のRt値は、5月に入って再び緩やかな増加に転じ6月を過ぎて1を超え、72日時点で1.64となりました。これは7月に入り首都圏だけでなく大阪や京都、兵庫などでも再び新規患者が増え始めたことによります。ちなみに同日の各地のRt値は、東京都1.46、大阪1.84、三重県0です。このままですと、そう遠くないうちに第2波の感染拡大が起こるかも知れません。それを何とか防止しなければなりませんが、そのために私達が心がけることは、まずマスク着用と手洗いの励行です。これは言うまでありません。と同時に、自分の居住地や移動しようとする地域のRt値をこまめにチェックし、その値に応じて三密の回避や不要不急の外出の自粛など、取るべき行動を自ら決めることも大切なのかも知れません。

 それにしても何とも落ち着かない不穏な日が続きますが、そんな中、田圃では水が張られ田植が行われています。水の張られた田圃を水田(みずた)と云いますが、まだ苗が植えられていない頃や植えられた苗が小さい頃には、水面に青い空や白い雲、緑の山などが美しく反映されます。そこで今回は、美しい水田の様子を紹介致します。

水田に映える白い雲。規則正しく長方形に区切られた田圃の一画が水田となり、青空に浮かぶ白い雲が映っています。まるでテレビの画面を見ているようです。


水田の大きなキャンパスにモクモクと膨らむ白い雲がダイナミックに描かれます。

 

大きな樹の濃い影と背景の山の淡い影が、黄緑色の鮮やかな早苗の水田に映ります。

 

晴れた日の午後、水田には空の青が美しく映え、送電塔がくっきり姿を現しています。

 晴れた日に、水田に映る青い空を、より青く撮影したい、誰もが願うことです。そのためには、どうすればよいのでしょうか。左の上下2枚の写真をご覧ください。6月の快晴の日、午後4時頃、田植えの終わったばかりの水田です。上の写真は、傾きかけた太陽を右手上方に拝むようにして逆光で撮影したものです。水の色は灰色をしています。

 その撮影後すぐに反対側へ回り、太陽の光を背にして順行性に撮影したのが下の写真です。水面は青空を反映して青く見えます。同じ水田でも、逆光よりも順行性に撮影した方が青く見えます。水田の青空を青く撮るためには、順行性に撮影すること、これは基本というか常識のようです。その理由は分かったようで、よく分かりませんが・・・。

西の山にかかろうとする夕陽を背に撮影したものです。近くを走る高速道路の白い陸橋が赤みがかっています。青い水面に、海老茶色の陸橋と樹の緑が帯になって映っています。手前にも同じような模様が淡くみえますが、なぜ二重になったのでしょうか。

 まさに夕陽が山の端に沈もうとする頃です。長四角に区切られた水面には、薄暗く暮れた空が拡がり、蒼黒い山のシルエットと紅く輝く夕陽が、鮮明なコントラストを描きます。手前にあるのは、スイバの穂でしょうか。水田は夕陽を映すのも得意なのです。

夕暮れ時、水田の写真を撮っていましたら、偶然、日傘をさした女性が通りかかりました。

 

 

夕暮れ時の水田に写る三本の電柱

 上の写真は、田植えの終わっていない水田で、午後遅く撮影したものです。暗くなりかけた青空に、ほんのり赤味がかった白い雲が浮かび、まもなく夕焼けが始まろうとしています。遠くの畔にはシロツメグサが群をなし、近くにはスイバの穂がおぼろげに立っています。遠近法のお手本のように電柱が3本並び、それを結ぶ電線はどこまで延びるのでしょうか。初夏の夕暮れ前の風景、何となく懐かしく、寂し気な景色です。私はこの写真を撮っている時、一枚の絵を想い浮かべていました。エドワード・ホッパー(1882-1967年)の「ガソリンスタンド」という油彩画です(写真下)。1940年に描かれたということですから、アメリカは大恐慌の最中、第二次世界大戦の始まる前の頃です。舞台は田舎の小さなガソリンスタンド、夏の夕暮れでしょうか、うっそうとした暗い森に、建物から漏れる明るい光が好対照となっています。古めかしいガソリンの給油装置が3台、そこに1人黙々と働く男性が描かれています。昔懐かしい景色の中で、何とも云えない寂寥感、孤独感を感じます。ホッパーは、1920年代から30年代のアメリカの懐かしい建物や風景を舞台にして、その中で生活する人々の孤独や疎外感、寂寥感を描き、アメリカン・シーンの画家と呼ばれています。アメリカン・シーンとは、大恐慌による不況の時代のアメリカの情景を描いた絵画のことで、ホッパーはその代表的な画家です。上の写真の3本の電柱からホッパーの絵の3台の給油装置を思い出した訳でもないのですが、何となく寂し気な情景が似ているような気がします。

エドワード・ホッパー ガソリンスタンド 1940年 ニューヨーク近代美術館蔵

 一方、春から初夏にかけては、風の快い季節です。文字通り「薫風」です。そこで子供の頃に歌った、この季節の風の歌のうち、幾つか思い浮かぶものを挙げてみます。
「みどりのそよ風 いい日だね 蝶々もひらひら 豆のはな」で始まる「緑のそよ風」(作詞:清水かつら、作曲:草川信)は、小学校の音楽で習いましたが、1948年NHKラジオで発表されたものだそうです。
 スエーデン民謡で小林幹治作詞の「たのしいショティッシュ」という歌もありました。
「ララ 真っ赤な帽子に リボンが揺れてる 若い風が 歌ってる ララ トンボが飛んでる 野原の真ん中で陽気に踊りましょうよ・・・」。これもNHKテレビ「みんなの歌」で放送されたのを聴いて覚えました。
 そして「花の街」です。1番から3番までの詞を示します。

花の街
                 作詞:江間章子、作曲:團伊玖磨

1 七色(なないろ)の谷を越えて    
        流れて行く 風のリボン        
        輪になって 輪になって
       かけていったよ 
  歌いながら(*)かけていったよ       
2 美しい海を見たよ
       あふれていた 花の街よ
       輪になって 輪になって
       踊っていたよ
       春よ春よと 踊っていたよ

3 すみれ色してた窓で
        泣いていたよ 街の角(**)で
        輪になって 輪になって
        春の夕暮(ゆうぐ)
        ひとりさびしく 泣いていたよ

 

 

 ( *は「春よ春よと」、**は「街の窓」とも歌われますが、
           本来の詞は表記の通りだそうです。)     
 
 作詞の江間章子(1913-2005年)は、昭和を代表する唱歌の作詞家であり、代表作として「夏の思い出」があります。作曲は、オペラ「夕鶴」などの作曲家として、また「パイプのけむり」などのエッセイストとしても有名な團伊玖磨(1924-2001年)です。この美しい歌曲は1947(昭和22)年に発表されました。終戦から2年後、焦土化した日本中の都市のあちこちに、まだ焼け跡が残っていた頃です。作者は、焼け野原となった街角に立ち、かっての美しい街を想いながら書いた、いわば幻想の詞なのだそうです。1番と2番では、色とりどりの花が咲き、リボンの風が吹き、美しい海を見ながら、人々が楽しく歌い、踊る、そんな理想の街を歌います。しかし3番になりますと、ガラリと変わり、変わり果てた街角でひとり泣く主人公がいます。戦争で亡くなった多数の友人や人々を偲び、破壊された美しい街を哀しんで泣いているのでしょうか。私は、1番の歌詞しか知りませんでしたので、ただ美しい曲としか思っていませんでした。このような戦争体験にもとづく深い意味のある曲だとは、つゆも知りませんでした。戦後生まれの私たちは、実際に焼け野原を見たことがありません。見ていたかも知れませんが覚えていません。そんな私たちにとって、この曲は、美しい風景の中で無心に遊んだ子供の頃や青春時代のことを、初夏の夕暮時ひとり思い出しは感慨に耽っている、そんな自分の姿にも重なって来ます。春から初夏にかけての夕暮れは、何となく寂しいものです。爽やかな陽を浴びて光り輝く新緑を見ても哀しい・・・いよいよ老境に入って来たのでしょうか。いや、まだまだ!! 快いそよ風を頬に受けては心躍りますが・・・。

      ♪♪ みどりのそよ風 いい日だね 蝶々もひらひら 豆のはな ♪♪

空の青と森の緑の映える水田に、黄色の家がおぼろげに浮かびます。 さながらメルヘンの世界です。

 (エドワード・ホッパー「ガソリンスタンド」の油彩画は、Web Museum in Parisよりダウンロード致しました。)

                                                    令和2年7月
                  桑名市総合医療センター理事長 竹田  寛  (文、写真)
                                 竹田 恭子(イラスト)

 

 

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