4月:姫踊子草(ひめおどりこそう)
-となりのトトロ、トトロのとなり、みんなトトロ-
いよいよ4月、「理事長の部屋」の再開です。「さあ、張り切って!」と勢いよく飛び出したいところですが、この3、4月は新型コロナウイルス感染の世界的な拡大で、どこもかもたいへんでした。4月25日現在、世界200近くの国で270万人以上の人が感染し、18万人を超える人が亡くなっています(ジョンズ・ホプキンス大学調べ)。日本でもクルーズ船による患者も含めますと感染者は1万3千人を超え、死者も340人以上となりました。遂に4月7日には緊急事態宣言が東京、大阪、福岡など7都道府県に出され、16日には全国に拡大されました。三重県では当初感染者数は少なかったのですが、最近は漸増して25日現在45人となり、死者も1人出ました。私たちの病院へも連日のようにコロナウイルス感染症疑いの患者さんが受診され、そのうち数人が遺伝子(PCR)検査で陽性となり感染症指定病院へ転院されています。現在三重県内には、7か所の感染症指定病院に24床の感染症専用病床があり、今のところ感染者はそれらの病院へ入院して治療を受けています。ただし、これ以上感染者が増えますと病床が足りなくなり、私たちの病院などでも受け入れることになりますが、それも限度を超えますと医療崩壊に繋がります。今はただ、これ以上感染者が増えないことを祈るばかりです。
コロナ感染症対策の最前線で、危険と隣り合わせに診療されている医療従事者や、患者さんのお世話をしていただいている皆さん、ほんとうにご苦労様です。くれぐれも感染しないようにお気を付けください。また私たち市民も、絶対にコロナウイルスに感染してはいけません。そのためには、既にご周知のことと思いますが、密閉、密集、密接の三蜜を避け、できるだけ他人との接触を減らすことです。不要不急の外出を避けて家にいること、外出時にはマスクを着用し、帰宅したらしっかり手洗いすること、規則正しい食事と十分な睡眠に心掛けることが大切です。こうして1か月も我慢すれば、きっとコロナ騒動は収まっていきます。もう少しの辛抱です。お互い頑張りましょう。
しかし家の中での生活も長くなりますと、うんざりします。今回はそんな皆さんに、春の野の片隅で上演されている様々な寸劇を紹介致します。演じているのは姫踊子草です。
立ち上がってこちらを見上げる子ねずみかモルモットの群のようです。
ヒメオドリコソウ(姫踊子草)は、ヨーロッパ原産のシソ科オドリコソウ属の植物で、明治時代に渡来した帰化植物です。
葉には紫蘇(シソ)に似た網目状の脈があり、前後左右、四方に向けて対生します。そのためむっくりした姿になるのです。葉の色は、下部は緑色ですが、上部になると赤紫色に変色します。茎はシソ科の植物に共通して四角です。上部の葉の間から顔を覗かせるように、ピンク色の小さな花がたくさん咲きます。 |
同じシソ科オドリコソウ属の仲間で在来種のオドリコソウ(踊子草)の花によく似ていますが、サイズが小さいたため姫踊子草と呼ばれます。 |
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これらの花の一個一個は、いずれも編み笠をかぶって踊る人に似ています。そのため、全体的に見ると「踊り子」とはとても思えない、ずんぐりむっくりした姫踊子草に、この名が付いたのですね。
シソ科の花の特徴は、花弁が合着して筒状になり、唇のような形になりますので、「唇形花」と呼ばれます。オドリコソウ属の花では、筒先が大きく上下の裂片に分かれ、それぞれ「上唇」、「下唇」と呼びます。
姫踊子草には、「おしべ」4本、「めしべ」が1本ありますが、いずれも上唇の裏側にぴったり付着しています。上唇を下から見上げますと、「おしべ」の花糸の先端にある黄色い花粉や、花粉が無くなった後には黒っぽい葯がそれぞれ4個ずつ見えますが、白っぽい花糸はなかなか見分けられません。同様に白い「めしべ」も上唇の裏に付着している間はほとんど見えず、垂れ下がって来て、ようやく確認できます。私が普通のルーペを使って調べた限りでは、姫踊子草の花の10~20個に1個ぐらいしか「めしべ」を確認できませんでした。
花の咲いていない姫踊子草は、上の方の葉が折り重なって複雑な表情を示します。両端の写真では、熊の顔のように見え、それらが立ち並ぶ姿は、さながら森の番人のようです。 |
上の写真は、午後遅く、野に咲く姫踊子草をそのまま逆光で撮影したものです。傾きかけた陽の光に透かしますと、不思議なことに他の野草は緑色のままですが、姫踊子草だけがセピア色に変色して不気味な形相となります。乾燥した虫の標本のようでもあり、合戦で敗れた落武者の亡霊のようでもあって、恐怖感さえ感じます。
左の写真では、背骨が上下に走り肋骨も骨盤骨もあって、まるで人間のレントゲン写真を見ているようです。そうなりますと私の内にある、今ではすっかり古錆びてしまって使い物にならなくなった画像診断医としての魂が、俄かに騒ぎ出します。 |
アニメ映画「となりのトトロ」は、言わずと知れた宮崎駿(はやお)監督の代表作の一つで、1988年に公開されました。その後30年近くにわたりテレビで何度も放映されましたので、若い人には観られた方も多いと思います。私たちも、ポスターを観たり主題歌にも馴染んでいましたので、何となく「トトロ」のイメージは持っていました。それで今回、姫踊子草の写真を撮っていて、ふと連想したのが「トトロ」です。太っちょで人の良い愛嬌者というイメージですが、ただ余り自信がありませんでしたので、今回映画を観てみました。するとまさしくその通りでした。
背景には、戦後間もない昭和の里山風景が描かれ、野山や村、民家の様子が私たちの郷愁を呼び覚まします。忠実に写実された「ひまわり」や「あざみ」の花が登場するのも嬉しくなります。
映画界の巨匠黒澤明監督は、自分の選んだ映画100本の中に、アニメ映画として唯一この映画を選んでいます(「黒澤明の選んだ100本の映画」黒澤和子編、文春新書)。
一方、踊り子と云えば、まず頭に浮かぶのが川端康成の名作「伊豆の踊子」です。「雪国」と並んで、冒頭の文章の美しいことで知られます。
道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思ふ頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。
(川端康成全集 第1巻 伊豆の踊子 新潮社 昭和40年)
田中絹代、美空ひばり、鰐淵晴子、吉永小百合、内藤洋子、山口百恵らを主演女優として6回映画化されました。私が観たのは1963年製作の吉永小百合、高橋秀樹版で、高校時代、中間か期末試験の終わった日に、同じサユリストの友人数人と映画館へ行きました。皆、小百合さんの初々しさに、ハラハラドキドキしながら見とれていたことと思います。
「さよならも言えず 泣いている 私の踊子よ ああ 船が出る」の歌い出しで始まる正統派歌手、三浦洸一の唄った「踊子」(作詞:喜志邦三、作曲:渡久地政信)も素晴らしい曲でした。高校の体育の先生、サッカーでは少し名の知れた物静かな好青年でしたが、よくこの歌を口ずさんでおられましたので、「お好きなんですか?」とお聞きしますと、「ええ歌やろ!」と日焼けした顔を緩めながら少し恥ずかしそうに答えてくれました。その時「この先生、純情なんやなあ」と、生徒のくせに生意気にも思ったものでした。その純情な先生の歌をもう少し続けましょう。
「天城峠で 会うた日は 絵のように あでやかな
袖が雨に 濡れていた 赤い袖に 白い雨・・・」
また欧米における踊り子として私の脳裏に浮かぶのは、後期印象派を代表する画家の一人、ロートレックです。アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(1864-1901年)は、伯爵家という裕福な家庭に生まれますが、生まれつき骨格の異常があり、顔や体躯は正常ですが両足が極端に短く、成人しても身長は150cmほどにしかないという身体障害者でした。子供の頃から画才を発揮し、画家としての修業を積んでいきます。ただ自分に身体的なコンプレックスがあったからでしょうか、ムーラン・ルージュなどのダンスホールや酒場に入り浸っては放蕩生活を続け、娼婦や踊り子らの女性に共感を抱き、働く彼女らの赤裸々な姿を愛情込めて描きました。ポスターにも名作が多く、ポスターを芸術の域にまで高めた画家でもあります。
私にとってロートレックには、もう一つ興味深いことがあります。それはゴッホと接点のあったことです。1886年から翌年にかけて、二人はパリで同じフェルナン・コルモンの画塾で学んでいます。アカデミックな画風の画塾において異端な二人でしたが、周囲にお構いなしにそれぞれ自分の絵画を追求し続けます。この時、ロートレックはゴッホから、かなりの影響を受けたそうです。画風のまったく異なる二人、ロートレックの絵にゴッホの影響があったとは夢にも思いませんでした。右下の絵は、ロートレックの描いたゴッホの肖像画です。パステル画ですが、ゴッホの用いた筆致を駆使して描かれていて、まるでゴッホの自画像です。それで「ロートレックの描いたゴッホの自画像」と評されます(「ゴッホとロートレック」嘉門安雄著 朝日選書)。なるほど、うまく言うものですね。
さらに二人はともに37歳で亡くなっています(正確にはロートレックは36歳10か月ですが)。そして日本の宮沢賢治も・・・。私の好きな画家や作家が37歳で亡くなっている、偶然の一致と云えばそれまでですが、何かそれ以上のものを感じます。
さて再び新型コロナウイルス感染の話に戻ります。
右表をご覧ください。厚労省の発表した4月23日現在における世界の主な国における新型コロナウイルス感染症の患者数と死亡者数です。その数字をもとに算出した死亡率を、最右列に示しました。死亡率で較べますと、シンガポール、ロシア、台湾の順で少なく、日本と韓国がほぼ同数の2%強で次いでいます。医療崩壊の起こったイタリアやスペイン、フランスでは10%を超え、イギリスも同等以上です。そこで 日本において大切なことは、死亡率2%を死守することです。医療崩壊を起こしますと死亡率はどっと増えてしまいます。今まさに瀬戸際であり、これを守ることが私たち医療側と行政の仕事であります。(今回感染者数と死者数を用いて単純に死亡率を計算しましたが、本来ならばもっと慎重に算出せねばならないのかも知れません。あくまでも概数であるとご理解ください) |
一方日本において、通常の季節性インフルエンザに関連する死者数は、例年1万人を超える程度と推定されています。それに比べますと、今回のコロナ感染症による死者は非常に少ないのです。しかし感染者がどんどん増えますと、たとえ死亡率は低くても死亡者は増加します。そのため感染者を増やしてはいけないのです。
左図をご覧ください。Yahoo Japanに発表された日本における一日あたりの新規感染者数の推移を示したものです。新規感染者は3月後半より増え始め、4月10日過ぎにピークを迎え、その後減少に転じています。このピークをもたらしたのが、その2週間前の3連休で、国民の気が緩み行楽地などへ出かけたことが要因だと云われています。それを受けて緊急事態宣言が、4月7日に7都道府県に出され、16日には全国に拡大されました。その効果の現れるのが2週間後とすれば、ゴールデンウィークを挟む4月最終 週から5月第2週ということになります。 そのため国も地方自自治体も「連休が終わるまでは家にいるように」と繰り返しています。 |
三重県内では、私たち医療側も県と緊密に連絡を取って、感染者がさらに増えた場合に受け入れることのできる病院の確保に努めています。また桑名医師会は独自にPCRセンターを開設しましたので、桑名市では保健所と医師会の2か所でPCR検査が受けられるようになりました。
私たちにとって最も大切なことは、自分は絶対コロナにはかからない、という強い気持ちを持って、細心の注意を払いながら生活することです。日本人が皆そのように考え行動すれば、コロナ騒動はまもなく終焉するものと確信しています。
令和2年4月
桑名市総合医療センター理事長 竹田 寛 (文、写真)
恭子(イラスト)
(掲載しましたロートレックの2枚の絵は、それぞれWebMuseum, Parisおよびゴッホ美術館のホームページよりダウンロードしました。)