8月 カサブランカ
―「おしべ」にご用心! ごまかせません―
今年の梅雨明けは7月20日の海の日でしたが、平年並みで昨年より1日早いとのことでした。しかし直前に台風11号が到来して各地に被害をもたらし、今さらながら災害の多い日本にため息が出ます。梅雨明けとともに猛暑となり、真夏の太陽がガンガンと照りつけるようになりました。庭の草刈を1時間もやっていると頭がフラフラして来て「熱中症かな?」と心配になるほどです。そんな猛暑をものともせず、今年も鉢植えのカサブランカが元気に花開きました。4,5年前の早春、ショッピング・センターの花コーナーをぶらぶらと見て回っていましたら、片隅にカサブランカの球根が1株だけあります。根も生えていて、このまま植えればすぐ発芽するとのことでした。どうも売れ残ったものらしく値段は半額です。「どうせ枯れて元々」と割り切って買い求め、鉢に植えました。すると驚いたことに苗はすくすく伸び、夏には立派に花を咲かせました。花後、「まあ来年は無理だろう」とそのまま放置しておいたのですが、うまく越冬して翌年も見事に咲きました。しかも2株に増えたのです。今年はとうとう5株にまで増え、たくさんの花がひしめき合うように咲いて賑やかです。売れ残りの球根がこんなに立派な花を咲かせるようになって、ずいぶん得をした感がします。鉢が狭くなったので、来年は植え替えてやろうと思っています。
カサブランカはユリ科ユリ属の園芸種で、花の華麗さと甘い香りから「ゆりの女王」と呼ばれています。欧米では、19世紀に日本や中国からいろいろな種類のゆりが伝わり、 ユリの園芸種の開発が盛んになりました。カサブランカもそのうちの一つで、1970年代にオランダで日本に自生する山百合(ヤマユリ)や鹿の子ゆり(カノコユリ)を原種として開発され、オリエンタル・ハイブリッドと呼ばれるグループに属します。
真夏の太陽の照りつける炎天下、カサブランカは日向に置いても日蔭にあっても様になる花です。日向では、燃える陽射しを浴びることが嬉しいのでしょうか、暑さをものともせず微笑んでいるようで、真夏の太陽を謳歌する若者の強靭さを感じます。一方日蔭に入りますと様相は一変します。その涼しげで端整な風情は、私達を一時の静寂とやすらぎの世界へ誘います。騒がしかった夏の午後が急に静まりかえったようです。
カサブランカの花が開いた後、時間の経過とともに「おしべ」と「めしべ」の形が変化していく様子を観察しますと、興味深い現象がみられます。
開花直後、おしべの先端にあるチョコレート色の葯(やく)は、軸の延長線上にあり、水平方向を向いています。20分もしますと数本の葯が垂れて垂直となり、1時間後にはすべての葯が垂直となります。この間「めしべ」は真っ直ぐのままですが、1日経つと先端が上方へ反りかえり、3日もしますと反り上がりは最大となり柱頭も大きく成長します。
なぜ「めしべ」は時間の経過とともに反り上がっていくのでしょうか。いろいろ考えていて、ふとあることに気が付きました。「おしべ」の花粉が自分の「めしべ」へ受粉することを自家受粉といいますが、遺伝学的には好ましいことではなく、植物は様々の方法でこれを防いでいます。例えば「ききょう」ですが、最初「おしべ」が開いて花粉を次に「めしべ」が開きますが、この時には既に「おしべ」には花粉はありません。このように時間差を利用して自家受粉を防ぐ方法を雄性先熟(ゆうせいせんじゅく)と云います。カサブランカの「めしべ」の先端「柱頭」は、はじめ自分の「おしべ」に花粉がたくさんある時には横を向いています。この時期に蝶が来て自分の「おしべ」の花粉を足に付けても「柱頭」が横を向いているため受粉し難いのです。数日経って自分の花粉が減ってきますと柱頭は大きくなって上を向きますが、これは他の花の花粉を足に付けて訪れた蝶に、停まりやすい足場を提供して受粉を促しているのではないでしょうか。一種の雄性先熟と考えられますが、これはあくまでも植物学に素人の私の思い付きの推論です。
上の写真は、開花直後の葯ですが、ふっくらとしたチョコレートのスポンジケーキのようです。柔らかい肌触りと食感が伝わって来ます。上から見ますと、太い溝が中央を縦に走っています。 右の写真は、開花後数日経った葯です。様相はすっかり変わってしまい、やせ細って「くの字」型に曲がり、表面が凸凹しています。まるで揚げ損ないの海老フライのようです。 |
蝶が飛んで来たのでしょうか、受粉後と思われる写真です。「おしべ」の葯は、「くの字」型に曲がり、足で引っ掻いたような疵(きず)が上下に走っています。「めしべ」は上方へ強く 反り返り、柱頭には花粉が付着しています。
カサブランカの花は、開いたばかりの若い頃と、最盛期を過ぎた後では、表情がずいぶん変わります。 右の写真は若い花です。「おしべ」の葯はふっくら丸味を帯び、花びらの質感も柔らかく、ふくよかな少女のような愛らしさを感じます。
下の2枚の写真の見比べて下さい。同じように天空を見上げていますが、左の若い花では、きりっと引き締まって天を仰ぎ、遥か遠くを凝視する若者の凛々しさ、逞しさを感じます。一方、右の盛りを過ぎた花では、表情はすっかり崩れて温和になり、笑っているようです。福笑いか布袋さんの笑顔を連想させられます。
カサブランカの若い花と盛りを過ぎた花では、「おしべ」の先端の葯の形により顔付きが変わります。若い頃は皆揃ってふっくらし垂直に立っていますが、日数を重ねるに従いやせ細って「くの字」型に曲がり、方向も一定しません。今まで漠然と見ていて気が付きませんでしたが、時が経つにつれこれほど表情が変化するとは驚きました。華麗で気品があり香水のような甘い香りを放つカサブランカの花も、「おしべ」をみれば年が分かるのです。花びらはまだまだ艶があり美しいのに、年をごまかすことはできません。また「おしべ」の花粉は手や衣服に着くとなかなか落ちず、私達にとっても困った存在です。花にも人間にも、とかく「おしべ」はやっかいものです。くれぐれもご用心ください。
カサブランカと云えば、まず思い起こすのは往年の名画「カサブランカ」でしょう。 1942年に製作されたハリウッド映画で、ハンフリー・ボガード(リック)とイングリッド・バーグマン(イルザ)の共演による戦争と恋愛をテーマとしたラブ・ロマンスです。
舞台は第二次世界大戦下の1941年、ナチスドイツの抬頭により親ドイツ政権の誕生したフランス領 モロッコの都市カサブランカです。ドイツの侵略によりヨーロッパ各国から逃れて来た人々は、カサブランカを経由して中立国ポルトガルへ渡りアメリカへ亡命しました。カサブランカで酒場を営むリックは、以前レジスタンス闘士でもあり、ナチスの横暴に不快感を持っていました。そんな時、昔パリで恋人同士にあったイルザに偶然再会します。イルザに夫があったことを知り落胆しますが、
その夫がレジスタンスのためにドイツ軍に追われポルトガルへ脱出しようとしているのを知り、ほんとうは自分のために使う予定であった渡航証明書を二人に譲り脱出を助けます。今でも愛しているかっての恋人と恋敵(こいがたき)でもある夫のために自分を犠牲にする男のロマン、密かにナチスドイツに対する抵抗心を抱き続ける男達のほのかな友情を、深刻ぶらず歯切れよいタッチで爽やかに描いた作品です。ハンフリー・ボガードのニヒルで渋い演技と、イングリッド・バーグマンの美しさが秀逸でした。この映画は、1943年のアカデミー作品賞、監督賞、脚色賞を受賞しています。またアメリカ映画協会(AFI)は、AFIアメリカ映画100年シリーズとして、人気のあったアメリカ映画ベスト100を発表していますが、1998年には2位、2007年でも3位にランクされ、映画が製作されて65年経った後でも高い人気を誇っています。映画の中で歌われる「As Time Goes By」(時の過ぎゆくままに)は、現在でもジャズのスタンダード曲として演奏されています。
ナチスの抬頭により慌ただしく世の中が変化していく様子を描いた映画は他にも幾つかありますが、私が観たものの中で印象に残っているのは、1965年の「サウンド・オブ・ ミュージック」と1972年の「キャバレー」です。ともにミュージカルですが、時代は ナチスが抬頭し始めた1930年代、前者ではオーストリアの美しい自然や修道院が、後者ではベルリンのショークラブが舞台になっています。清純な修道院と退廃的な酒場、舞台は全く正反対ですが、ともにナチスが抬頭して来て世の中が不穏になり、どんどん平和が失われていく緊迫感と、時代の流れに抗し切れず国外へ逃亡したり、諦念しながらじっと見つめる民衆の姿が描かれています。「サウンド・オブ・ミュージック」は世界的にヒットしましたので、観られた方も多いでしょう。家庭教師のジュリー・アンドリュースとかわいい7人の子供達のコーラスが抜群で、美しい山々を背景にして歌われる「ドレミの歌」や「エーデルワイス」など素晴らしい曲であふれていました。一方「キャバレー」では、 ライザ・ミネリの好演が光りました。将来のスター俳優をめざしながらクラブのショーで歌い踊るアメリカ人ダンサー役でしたが、小悪魔的な魅力にあふれ、移り気ながら憎めない悪女を豊かな表情で演じ、アカデミー主演女優賞を受けています。
そしてナチス映画の極めつけと云えば、1940年に製作されたチャップリンの「独裁者」でしょう。ヒットラーをもじったヒンケル将軍とそっくりに生まれたユダヤ人の床屋チャーリーを主人公とした物語です。ナチスの反ユダヤ政策により、家を追われ恋人や仲間と離れて暮らすことになりますが、ひょんなことからヒンケル将軍に間違えられて皇帝に即位します。ラスト・シーンは皇帝の就任式です。そこでチャップリンは、皇帝の力強い宣誓を期待して集まった大勢の兵士や民衆を前にして、予想外の言葉で始めます。
“I’m sorry but I don’t want to be an Emperor(申し訳ないが、私は皇帝になりたくない)”
そして6分間におよぶ有名な演説を行い、どんでん返しの結末を迎えます。
できるなら皆を助けたい、ユダヤ人も、ユダヤ人以外も、黒人も、白人も。
私の声は、世界中の何百万人もの人々、絶望した男たち、女たち、子供たちや、罪のない人々を拷問し投獄している組織の犠牲者らにも届いている。
私の声が届く人たちに言う「絶望してはいけない」。
独裁者たちは自分たちを自由にし、人々を奴隷にする。
兵士たちよ。獣たちの奴隷になってはいけない。
獣たちは、君たちを欺き、単なる兵卒として扱うのだ。
君たちは機械じゃない。家畜じゃない。
君たちは人類愛を持った人間だ。
今こそ、世界を自由にするために、国境を取り除くために、
貪欲と憎しみと堪え切れない苦痛を取除くために闘おう。
兵士たちよ。民主主義の名のもとに、皆でひとつになろう。
チャールズ・チャップリン(1889~1977年)はロンドンに生まれ、20代中頃にアメリカへ渡り、パントマイムで鍛えた独特の動作と、山高帽、ステッキ、だぶだぶのズボン、ドタ靴、ペンギン歩きという特異なスタイルで喜劇役者としての人気を不動のものとしました。チャップリン映画は単なる喜劇ではなく、社会を風刺したり貧しい人たちに光を当てたりする社会性が含まれており、世界中の人々を笑いと涙の渦に巻き込みました。代表作として、「モダンタイムス」「黄金時代」「キッズ」「ライムライト」などがあります。「独裁者」はナチスドイツ全盛の頃に作られたもので、痛烈にヒットラーを皮肉り、力強く反ナチズムの演説を行いました。内容は現代に通じるものがあり、あの時代によくこれだけの映画が作れたものだ、と改めてチャップリンの偉大さに驚きます。戦後70年の節目の年、有史以来、時の権力に敢然と戦って来た数多の人々に、畏敬の念を深くします。
さて病院の話題です。最近では、がん患者さんの相談や生活支援を行う活動が盛んになっています。三重県でも県内6か所のがん診療連携拠点病院に「がん相談窓口」が設置され、全国に先駆けて県津庁舎内に「三重県がん相談支援センター」が開設されています。≪がんサロンとは?≫ がん患者さんやご家族、ご遺族の皆さんが集まり、交流や情報交換をする場であり、グループあるいは参加者相互による助け合いの場でもあります。サロンの運営は、サポーターと呼ばれる医療ケースワーカーや看護師、医師、宗教家などの人達により行われますが、がん患者さんやご家族も加わります。ここでは参加者同士が話合って体験を共有し、ともに考えることが大切で、病院では話せないことや家族にも言えないことなどを吐露できる貴重な場となっています。
≪桑名サロンの現状と今後の展望≫ 桑名サロンは、昨年11月、桑名市総合医療センターに勤務する医療関係者が中心となって、県内6か所目のサロンとして立ち上がりました。去年は2回開催しましたが、今年度からは年4回開催することになっています。
サロンの進行は次の通りです。参加者の名札には、がんの種類別に色分けされたシールが貼られ、ストラップの色で患者本人か、ご家族あるいはサポーターか識別できるようになっています。サロンは2部構成で、前半は自己紹介の後、それぞれのがん体験や治療状況などをお話いただきます。後半はサポーターも加わってグループ分けをし、治療のことや、医療費、家族、趣味、世間話など多岐にわたる話をフリートークで進めます。最後は周囲の人に感謝しながら日々の生活を送っているという結論に達し終了することが多いようです。参加者からの感想ですが、初対面ながら同じ立場の患者さん同士で話合い、お互いにアドバイス仕合うことで、気持ちが前向きになれるとのことです。2回目以降の参加者には、初めてサロンを訪れた際の不安そうな表情はなく、最初から明るい表情で話し合いに入っておられます。またご家族にとっては、患者さんを支えるご家族ならではの悩みや辛さを話し合うことで、精神的な負担が軽減されるとのことです。現在は平日の昼間に開催していますが、今後は休日開催も計画しています。
さらにサロンを充実させようと頑張っているサポーターの人達に、熱いご支援をよろしくお願い申し上げます。
桑名市総合医療センター理事長 竹田 寛 (文、写真)
竹田 恭子(イラスト)