名誉理事長の部屋令和6年9月1日付で、竹田寬先生に名誉理事長の称号が授与されました。

名誉理事長の部屋

12月:暖冬

―原因は、北極が揺れ動くから?―

暖冬のせいでしょか、川の堤を埋め尽くす「すすき」の枯葉も赤く輝いて見えます。

 12月は暖冬と書きましたが、年が明けて1月になっても暖冬に拍車がかかるばかりです。気象庁は、2019年の年平均気温は日本では過去最高、世界でも過去2番目に高くなると発表しています。三重県内の1月の平均気温も各地で例年より3度ほど高くなり、すべての観測地点で観測史上最も高くなりました。津市では8.3度で130年前に観測を開始して以来最高だったそうです。また名古屋や岐阜での初雪も今年は2月10日で、統計開始以来最も遅く、今まで初雪の最も遅かった1901年1月21日の記録を119年ぶりに書き換えました。何もかも記録ずくめの暖冬、ほんとうにこのままで良いのかなと思います。西高東低の冬型の気圧配置が長く続かなかったことや、寒気が東海地方まで南下しなかったからですが、やはり地球温暖化の影響も大きいでしょう。
 もう一つ暖冬をもたらした原因に北極振動(Arctic Oscillation: AO)という気候現象 があります。これは、北極と北半球中緯度地域の気圧が相反して変動することで、1998年に提唱されました。北極の気圧が高いと北半球中緯度地帯の気圧は低くなります。この時、北極の寒気は南下して日本などは寒冬となります。これを負の北極振動と呼びます。逆に北極の気圧が低いと中緯度地帯の気圧が高くなって寒気は南下し難くなり暖冬になります。これを正の北極振動と云います。

 下図は1950年から2008年までの冬季における北極変動を調べたものです。上向きの赤いバーが正の北極振動、青色の下向きのバーが負の北極振動です。例えば1990年代は正の北極振動を示す年が多く、暖冬が続いたそうです。一方、1950年代から1970年代初めにかけては負の北極振動を示した年が多く、寒い冬が多かったそうです。

冬季における北極振動の年次推移(Global Warming Scienceより引用)

     北極振動には周期性があり、太陽の黒点活動が影響するとも云われます。今年は、地球温暖化に加えて正の北極振動であったために記録破りの暖冬になったのでしょう。地球温暖化が進みますと、空気中の水蒸気量が増え、雨が降れば大雨になり、極端な高温にもなると云われます。台風も数は減少しますが、規模は増強するというシミュレーションもあります。したがって暖冬の今年、夏には大雨や台風の被害が大きくなることが危惧されます。


 冬とは思えない賑やかな川原。大きな株となって白く長い穂をなびかせているのは、パンパスグラスでしょうか? 午後の光を透かして美しく輝きます。

 

枯れすすきの群に沈んでゆく夕陽。枯葉の底から顔を覗かせ「明日も良い天気になりますように・・・」。


樹々のシルエットを浮かび上がせながら、遠い林の彼方へ消えてく夕陽。水墨画をみるようです。


お陽様は、夕方から空一面に拡がった冬の雲に隠れたままでしたが、山の端に沈む直前、忽然と大きな明るい顔を見せてくれました。思いがけないお出ましに、すっかり嬉しくなって夢中でシャッターを押しました。


 薄暮の中、満月が出て来ました。本来なら寒月と云うべきなのでしょうが、冷え切らない空気のせいか、春先の月のように艶っぽく見えます。そういえば今年は、名古屋や岐阜だけでなく伊勢でも、まだ本格的な降雪をみません.

 


                                         三好達治

太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ

次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

 雪のしんしん降る冬の夜は嬉しいものです。静かに降り積もる雪。布団へ潜り込んで、その気配に耳を澄ませていますと、心懐かしくなり、幼い頃や若い頃の思い出が蘇って来ます。楽しかった事や、やさしかった家族、友人たちの笑顔が走馬燈のように駆け巡り、繰り返し現れては消え、やがて何時の間にか寝入ってしまいます。
 翌朝目が覚めますと、窓のカーテンの隙間から明るい朝陽が射しこんでいます。勢いよく開けますと、眼前に拡がる白銀の世界。「世の中はこんなに美しかったのか・・・!」と今更ながら驚かされます。今年はそんな光景に出会うことは、もう無いのでしょうか。

 皮肉にも立春を迎えて、ようやく冬らしくなり寒くなって来ました。世の中では新型コロナウイルス感染症の勢いが止まらず騒然となっています。一日も早く終息することを祈っています。そうこうするうちに待望の初雪です。2月6日の朝、西の山がうっすら白くなりました。

 田圃では、麦の若芽が元気よく育っています。麦の植えられていない田圃には、ていねいに耕された土が柔らかく輝きます。暖冬であろうがなかろうが、春はもうすぐやって来ます。今年も豊作であること間違いなしです。

 記録ずくめの暖冬の後、今年の夏は、昨年の台風19号のように、台風や大雨の被害が激甚化することが危惧されます。また今後30年のうちに70%以上の確率で発生すると云われる南海トラフ地震が何時起こるかも知れません。このような状況下にあって、私たち医療人としても手をこまねいて傍観している訳にはいきません。何らかの対策を打たねば・・・と常日頃思っています。
BCPという言葉をお聞きになられたことがあると思います。事業継続計画(BCP: Business continuity planning)の略で、企業などの事業体は、災害発生時に、自らの損害を最小限に食い止め、いかにして事業を継続し、早急に復旧を図るか、その計画を立てることが、法律により義務付けられています。 医療機関や介護施設などにおいても同じで、いつ、どこで、どのような災害が起こっても、地域住民を守るために必要な医療や介護をどれぐらい継続できるか、その計画を策定せねばなりません。しかし全国の医療機関におけるBCP策定率は非常に低く、平均で30%程度です。三重県でも同様で、令和元年9月末の時点で、90余りの病院のうち30施設しか策定が終わっていません。策定の済んだ病院の多くは災害拠点病院で、それ以外の病院ではほとんど進んでいないのが実情です。国も県も、これを100%にしたいと望んでいます。当然のことと思います。実は私は現在、三重県病院協会理事長を拝命致しておりまして、県の担当の方から「県内の病院BCP作成率を100%にしたいのだが、どうしたらよいか?」と相談を受けました。私も当然そうあるべきだと思っていましたので、二つ返事でお引き受けし、災害対策がご専門の三重大学工学部川口淳准教授にも協力をお願いしました。そして三重県、三重大工学部、三重県病院協会が力を合わせて、どこまでやれるか分からないが、とにかくやってみようということになりました。目標は、あくまでも県内病院のBCP策定率100%です。
 実際に災害が発生した場合、地域全体としての医療を継続するためには、各医療機関がどのように役割を分担し、協力体制を組むかと云うことが大切です。しかし既に策定されているBCPの多くは、各施設が独自に作成し他の医療機関との連携については余り考慮されていませんので、災害発生時に十分機能する協力体制がとれるか疑問視されます。そこで病院BCPを作成する際、その病院の規模や専門性を考慮してBCPの内容を調整し、想定される災害の規模や状況に応じて他の医療機関との協力体制や役割分担を明確にするようにすれば、真に地域医療を継続できる災害対策が出来上がるものと期待されます。

 現在三重県では県内を8医療圏に分け、それぞれに所属する病院や診療所などが年に数回集まって将来構想会議を開き、その地域の医療体制は将来どうあるべきか、と云う重要な課題について熱心な討議が行われています。そこでその8医療圏ごとに病院の防災担当者に集まっていただき、川口先生や県の担当者の指導によるBCP作成のための講習会やワークショップを開催します。それを数回重ねることにより、各医療圏の病院が一緒になってBCPの策定を進めていこうということになりました。   

三重県における8医療圏

まず病院の規模を以下の3つに分類し、それぞれの役割を定めます。

グレード3:総合病院、災害拠点病院

 入院患者を守る、傷病者に対応する
 他院からの入院患者を受け入れる

グレード2:中規模病院、専門病院
 入院患者を守る、傷病者に対応する

グレード1:小規模病院、専門病院
 入院患者と職員を守る  

 県内8医療圏におけるグレード別の病院数を右上表に示します。地域ごとにこれらの病院が協力し、それぞれの病院が現有する施設や設備をもとにBCPを策定します。

 次に様々な被害を想定します。例えば浸水3mの被害が発生したとします。左図で薄橙色の枠で囲んだ海沿いの病院では機能が停止します。そこで残った病院が、どのように役割分担し協力体制をとれば、少しでも地域医療を維持することができるか検討します。こうして、どのような被害が生じても、残った病院の機能をフルに結集して、地域医療を守るための対策を練ります。

 
桑名・いなべ地区では、モデル地区として昨年7月よりBCP作成のための講習会やワークショップを開催し既に4回終了しました。今年度中にはすべての病院のBCPを策定する予定で、さらに来年度には診療所や介護施設、行政との協力についても検討していきたいと思っています。

桑名・いなべ地区の講習会風景

 また伊賀地区や東紀州地区でも活動が始まり、4月以降は県内すべての医療圏に拡げていければと願っています。このように医療圏単位で病院が一体となってBCP策定を行っているのは三重県だけで、独自の取組です。これがうまく行けば、地域医療を守るための災害対策が、全県挙げて出来上がります。その日を夢見て頑張りますので、どうぞよろしくお願い致します。 
(ここでしばらくお休みをいただいて、「続・続理事長の部屋から」の編集作業に取り掛かります。春には再開したいと思っています) 
                            令和2年2月
             桑名市総合医療センター理事長 竹田   寛  (文、写真)
                                恭子(イラスト)

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