名誉理事長の部屋令和6年9月1日付で、竹田寬先生に名誉理事長の称号が授与されました。

名誉理事長の部屋

6月:野あざみ

―古墳跡の木陰に忍ぶ、いにしえ人のつつましさ―

木漏れ日を受けて秘かに輝く野あざみの花

 今年の梅雨は、久し振り梅雨らしい梅雨です。殊に6月下旬から7月上旬にかけて伊勢地方ではお日様は時たま顔を出すだけで、ほとんど小雨混じりの曇、時にまとまった雨が降りました。東京では、日照時間が3時間以下の日が連続17日間も続き、これは昭和63(1988)年以来のことだそうです。家の中はじめじめとし、どんより曇った空を見上げては洗濯好きの私はため息をつきます。夏野菜の発育は大丈夫でしょうか。そんな何となく憂鬱な気分が続いていたある日、7月5日、嬉しいニュースが飛び込んで来ました。大阪にある百舌鳥・古市古墳群(もず・ふるいちこふんぐん)が、ユネスコの世界遺産に登録されたというのです。大阪としては初めての登録ということです。百舌鳥・古市古墳群とは、大阪府南部の堺市、羽曳野市、藤井寺市にまたがって分布する墳墓群で、古墳時代最盛期の4世紀後半から5世紀後半にかけて造られたものです。今回は45件49基の古墳が登録対象となりました。古墳の形には、円墳(円形のもの)、方墳(四角形のもの)、前方後円墳(方墳と円墳を組み合わせたもので鍵穴形となる)、帆立貝形墳(前方後円墳の一種で、前方部を小さくしたもの)の4種がありますが、ここにはそのすべての形があり、全国に20万基あると云われる古墳のモデルになったと言われています。身分の高さによってその規模と形が決められたそうで、日本で最大の前方後円墳として有名な仁徳天皇陵古墳は、この古墳群の中心に位置するものです。

 一方、津市の郊外西方にも古墳があります。明合(あけあい)古墳と呼ばれ、昭和24年(1949年)津高等学校の地歴部の生徒が発見し、3年後に国の史跡として指定されました。古墳時代の中期前半に造られたもので、規模は大きくありませんが、方墳を組み合わせた双方中方墳という全国的にも珍しい形をしています。現在は公園の一部として市民に開放されていますが、その東側にはたくさんの桜の樹が植えられていて、春には桜の名所として賑わいます。毎年、桜が終わり葉桜の美しくなる頃、うっそうと葉の繁った木陰に、野あざみの花が群れて咲きます。私は、あざみは日向を好む植物かと思っていましたが、ここの野あざみは日蔭を好むのです。古墳の頂部や南や西側斜面の日当たりの良い場所にはほとんど育たず、木陰の薄暗い場所に好んで咲いています。したがって遠くからでは、野あざみの群は桜の葉陰に隠れてしまい、見ることはできません。薄暗い葉桜の林の中へ足を踏み入れてみて、初めて野あざみの青紫の花の群を眼にすることができるのです。初めて見た時は驚きました。なぜこのような日蔭で秘かに咲いているのでしょうか。まるで人目を忍んで暮す平家の落人のようです。いったい古墳にはどのような人が祀られているのでしょうか。その人の想いを、長い間ずっと秘かに守っているのでしょうか。

明合古墳

 

木陰で群れて咲く野あざみの青紫の花。木漏れ日が当たれば桃色に光ります。


真っ直ぐに伸びた細い茎とぼんぼりのような青紫や桃色の花が美しいコントラストを描きます。


木陰と違って青空の下では、心なしか元気がありません。

 「あざみ」の仲間はキク科に属し、北半球の温帯から寒帯にかけて広く分布しています。その種類は300種ほどあると云われ、日本にも60種以上あるそうです。私たちに最も親しまれているのはノアザミ(野あざみ)ですが、本州から九州までどこでもみられます。

 

キク科の花の特徴は、小さな花(小花)
がたくさん集まって一つの花を形成する
ことで、これを頭状花序と言います。
「あさみ」の小花は筒状花だけから成り、
左の写真の赤丸で囲んだ部分が野あざみ
の小花です。開いた花冠(花びら)の中
央から真っ直ぐに伸びる「おしべ」、
「めしべ」の先端部である柱頭、それに
花粉が見えます。「おしべ」は5本ですの
で花糸も5本ありますが、「おしべ」の先
端の葯は合着して黒っぽい筒となり、葯筒
と呼ばれます。その中を「めしべ」の花柱
が走り、その先端部で柱頭が少し顔を覗か
せています。

 野あざみの花は、自家受粉を防ぐために、実に巧妙な仕掛けを持っています。それを下の模式図を使って説明します。

(A)「おしべ」と「めしべ」の断面図です。「めしべ」の花柱とそれを取り囲む「おしべ」の葯筒の間に黄色い花粉がたく   さん詰まっています。花柱の下方には、花粉が落ちないようにするための突起が付いています。
(B)虫が飛んで来て密を求めて小花の上を歩き回りますと、その振動が「おしべ」の花糸に伝わり、即座に反応して収縮し   ます。そうしますと、速やかに葯筒が下方へ引っ張られて上端にある花粉が露出し、虫の足に付着します。次の虫が来る       まではそのままですので、葯筒にある花粉は風雨などから保護されます。次の虫が到来しますと、同じ仕掛けが働いて上       端の花粉を露出します。こうして花粉を大切に保護しながら少しずつ放出していきます。
(C)花粉もすっかり無くなりますと、やがて「おしべ」は消退し、{めしべ}だけになります。最初のうち尖がっていた柱   頭は、先端が2つに分かれ、虫の運んで来た他の花の花粉を受粉します。
       このようにして、先に自家製の花粉を放出し、その後「めしべ」が生長して他の花の作った花粉を受粉します。これを        雄性先熟と言います。

 外側の小花は、「めしべ」だけになっていますが、内側には花粉を放出しているものもみられます。黄色の四角で囲んだ部分を拡大してみますと、黒っぽい葯筒の先端部に花粉の露出しているものと、まだ現れていないものが混在していることが分かります。

すっかり「めしべ」だけになった野あざみ。拡大しますと、柱頭が二分されていることが分かります。

 

 

「あさみ」の花は確かに美しい
ですが、葉には棘がたくさんつ
いていて、触るととても痛いの
です。それなのに、どうして多
くの人に好かれるのでしょうか。
あの鮮烈な青紫の花の色に惹き
つけられるからでしょうか。

 「あざみの歌」という美しい歌曲があります。昭和24(1949)年、NHKのラジオ歌謡で放送され、2年後伊藤久男が歌って大ヒット曲となりました。昭和24年と云えば私の生まれた年、今から70年前です。奇しくも津高の生徒さん達が明合古墳を発見した年です。

      あざみの歌
       作詞:横井弘、作曲:八洲秀章

 1 山には山の うれいあり
   海には海の 悲しみや
   まして心の 花園に
   咲きしあざみの 花ならば

 2 高嶺の百合の それよりも
   秘めたる夢を ひとすじに
   くれない燃ゆる その姿
   あざみに深き わが思い

 3 いとしき花よ 汝(な)はあざみ
   心の花よ 汝はあざみ
   さだめの道は 果てなくも
   香れよせめて わが胸に

 作詞は、「哀愁列車」「「山の吊橋」「川は流れる」「下町の太陽」「おはなはん」など数々の名曲の詞を書いた横井弘、作曲の八州秀章は、「さくら貝の歌」「毬藻(まりも)の唄」なども作っています。最初に歌ったのは伊藤久男ですが、私達の世代は倍賞千恵子さんの歌になじんでいます。倍賞さんは20歳の時に「下町の太陽」を歌って大ヒットし、歌手デビューしました。私が中学生の頃で、朝学校への出掛け際、張りのある明るい歌声がラジオでよく流れていたのを覚えています。また寅さんの妹、桜役など山田洋次監督の映画には欠かせない存在で、庶民派女優として人気を博しています。60歳頃に乳がんを経験し、その後、がん患者さんを励ますために、ピンクリボン運動など様々な活動を続けておられます。その一つとして、山田邦子さん率いるスター混成合唱団にいち早く参加され、中心的な役割を担われて来ました。この合唱団は、「がん」を経験したスターやそのご家族が合唱団を結成しチャリティ公演などを行うもので、NPO法人「キャンサーリボンズ」と強い絆で結ばれています。「キャンサーリボンズ」とは、すべてのがん患者さんやご家族を対象に、生活支援や精神的ケアなどの活動を通じて、より充実した人生を送って貰えるように応援する団体です。実際にこの法人を立ち上げ、現在もリーダーとして活躍しているのは、副理事長の岡山慶子さんです。

 

岡山さんは松阪市の生まれで、広告会社勤務を経て、
昭和61(1986)年東京に(株)朝日エルを設立して社長に
就任、保健や医療、福祉、女性支援などをテーマと
して社会貢献とビジネスの融合を図るための活動を
続けておられます。この間、日本のピンクリボン運
動の草分けとなった乳房健康研究会などのNPO法人
の設立に貢献し、現在も現役で活躍されています。
また、健康増進、障害者や子供支援など、様々な社
会化活動に取り組む法人などの要職を務められてい
ます。

 私が岡山さんと初めてお会いしましたのは、今から15年ほど前、三重県における乳がん検診の普及をめざして「三重乳がん検診ネットワーク」を立ち上げた時です。東京で、乳房健康研究会の主催するピンクリボン運動のイベントが開かれると聞いて参上し、その組織力と活発な活動に驚き、即座に会員となりました。それ以後、同郷のよしみもあって親しくしていただいております。岡山さんの素晴らしいのは、発想力と実行力と持続力にあります。彼女には次から次へとアイデアが浮かんで来るようで、そのなかで良いと思ったものは躊躇なく新しい組織として立ち上げます。その決断と実行の早さも並外れたものです。新しい活動を始めるかたわら、既存の組織もそのまま継続するものですから、朝日エルという会社の中には実にたくさんの活動グループがあります。社員は女性ばかりですが、皆が手分けして次々に増えて来る仕事をきっちりとこなし継続しています。しかも抜群のチームワークです。そのため離職者が少ないのでしょうか。昔からの人達がずっと変らず働いている、これもこの会社の特徴で、素晴らしいことです。
 さて現在、桑名市では、岡山さんの紹介によるプロジェクト「卓球珈琲(カフェ)」が進行しています。「卓球で日本を元気にする会」「朝日エル」「ネスレ日本」などの共催によるもので、卓球を介して市民の健康増進とコミュニティの活性化を図ろうとするものです。伊藤桑名市長も大いに賛同され、今年3月21日、城南地区のコミュニティセンターにオープンしました。ここには卓球台が2台あり、誰でも自由に使えます。またネスレ日本の提供のコーヒーサーバーが設置されていますので、美味しいコーヒーを楽しめます。現在1日20人前後の利用者があるとのことで、今後、桑名市としては、他の地域にも拡げ、特に高齢者の多い地域でのコミュニティ活性化に繋げたいと計画しています。ちなみにこの活動は、来年の東京オリンピック、パラリンピックにおいて、運動選手だけでなく国民一人ひとりがスポーツを介して健康増進を図ろうとするbeyond2020 マイベストプログラムとして認証されました。
 
   さて病院の話題です。今回は新病院における産婦人科の診療について、部長の平田徹先生、医長の小林巧先生に解説していただきます。
産婦人科とは、大きく分けて以下の4つの分野から成る診療科です。
① 周産期:妊娠および出産から産後の管理を行います。
② 腫瘍:女性の骨盤内臓器(主に子宮や卵巣など)の良性腫瘍から悪性腫瘍までの診断から治療を行います。
③ 生殖医療:いわゆる不妊治療です。(当院では不妊治療は行っておりません)
④ 女性ヘルスケア:思春期~性成熟期~更年期~老年期と女性のライフサイクルによって起こりうる生理現象や疾患は異なり、それぞれのライフサイクルに応じた疾患に対する診療を行います。
ここでは主に周産期と腫瘍の領域について当科での取り組みについて紹介させて頂きます。
【周産期】日本の周産期医療は、早産の増加、低出生体重児の増加、高年齢妊娠の増加というハイリスク妊娠が増加している背景の中、母体死亡・新生児死亡を大きく減少させてきており、世界の中でもトップクラスの実績を誇りますが、まだまだ課題も多いのが実情です。その日々遭遇する課題を克服しながら、周産期医療の進化を目指しております。
産婦人科では三重大学病院を中心とした県内の他の周産期施設と日々ネット中継を用いた多施設合同カンファレンスを開き、より多くの施設の症例を共有し、多くの産婦人科医師同士でディスカッションしています。このようなことをリアルタイムで行っていくことで三重県全体の周産期医療のレベルアップを図っていきたいと考えています。
周産期医療は、我々の科のスタッフだけでなく、麻酔科や新生児科、他の診療所や病院とも連携した協力体制が必要です。さらに当病院だけでなく、地域全体で手をつないで力を合わせていくことも重要であり、皆がチームとして周産期医療に携わっています。それにより全ての妊婦さんがお産を安心して行えるための環境作りを目指しております。
【腫瘍】2017年までは当科での取り扱い対象は主に良性腫瘍のみでしたが、2018年から悪性腫瘍の治療も行えるようになりました。新病院になってから子宮や卵巣の悪性腫瘍手術の件数も増え、術後補助療法として化学療法も当院で一貫してできるようになりました。外来化学療法室が充実し、通院で抗癌剤治療を受けることができます。放射線治療も導入され、主に子宮頸癌の放射線治療も開始しております。以前は婦人科悪性腫瘍の患者様は三重大学病院や四日市市の病院へ紹介せざるをえなく、通院やご家族の負担が大きいという問題がありましたが、桑名市でも悪性腫瘍の治療ができるようになったことで患者様に安心して治療に専念して頂けると思います。
良性腫瘍に関しては、病状にあわせて手術療法または薬物療法が選択されます。手術療法では手術負担の少ない術式である腹腔鏡下手術を積極的に行うようになり、2018年から飛躍的に手術件数が増えました。薬物療法も近年様々なホルモン剤が開発され、治療の選択の幅が広がっております。当院ではご本人の意思を尊重した治療方針を提案します。
【診療実績】2018年5月〜2019年4月 ※統合後の新病院移転につき5月1日からの集計
      分娩件数: 261件(うち帝王切開80件、吸引分娩9件、無痛分娩0件)
      手術件数: 253件(うち腹腔鏡下手術78例)
                   産婦人科のスタッフの皆さん

                            7月1日
              桑名市総合医療センター理事長 竹田 寛 (文、写真)  
                             竹田 恭子(イラスト) 
    

 

 

 

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