5月 夕化粧(ユウゲショウ)
―はたしてお化粧するのは何時でしょうか?―
今年の5月は、平成天皇がご退任になり、新しく令和天皇が着任されて年号の改められた歴史的な月でした。その式典もあって10連休というかってない長い休みで始まりましたが、如何お過ごしでしたか。医療界においても、日本中の病院や診療所がいっせいに10日間休診となったらどうなるか、医師会や病院協会もずいぶん心配し、地域医療圏ごとに救急患者の受入れに支障のないように輪番制を再確認するなど、半年以上も前から対策を練って来ました。結局多くの病院では10日間のうち1日か2日開院することで臨みましたが、幸い大きな混乱もなくほっと安堵致しております。
さてそんな連休の間、5月の花は早くから「つつじ」にしようと決めていました。3年前の5月、「つつじ」にするつもりで、たくさん写真を撮っていたのですが、一緒に咲いていた「すいかずら」の方に目を奪われてしまい、急遽変更したことがありました。それで今年こそは「つつじ」で行こうと決めていたのです。
連休の後の良く晴れた休日の午後、 |
すると余り見かけない桃色の小さな花が群れて咲いています。単なる雑草ではなく、由緒ある花のように見えます(雑草には申し訳ありません)。街中の道端や公園でよく見掛ける桃色の昼咲き月見草を二回りも小さくしたような花です。「ひょっとすると夕化粧?」と直感しました。帰ってネットで調べてみますと間違いありません。2年前の6月に昼咲き月見草を特集した時に勉強した夕化粧です。翌日も自転車で出掛け、桃色の花を探しながら走っていますと、田圃の脇を走る用水路の水辺などで、ぽつぽつと咲いています。花が小さいため緑の草に覆われて、よくよく注意していないと見逃してしまいます。今まで気が付かなかっただけなのでしょうか。世紀の大発見をしたような気になってすっかり嬉しくなりました。それでまたしても「つつじ」には申し訳ないのですが、今回も夕化粧とさせていただくことにしました。
夕化粧(ユウゲショウ)は、アカバナ科マツヨイグサ属の多年草です。オシロイバナを夕化粧と呼ぶことがあり、それと区別するためアカバナユウゲショウとも云われます。南アメリカ原産で明治時代に日本へ渡来し野生化しました。茎は叢生(根元からたくさんの茎が群がって出ること)し、茎の先端近くの葉腋(茎から葉の分岐する部分の内側)から花柄が出て、その先に花が付きます。花の大きさは直径約10~15mmで、昼咲き月見草の50~60mmに較べますと約1/3ほどです。濃い桃色の花弁は4枚で、毛細血管のような紅色の筋が透けて見えます。「おしべ」は8本、先端にある葯は白色です。「めしべ」の柱頭は四方に分かれて十字架のように開きますが、これはマツヨイグサ属に共通する特徴です。
マツヨイグサや昼咲き月見草では非常に目立つ十字架ですが、夕化粧ではよく見えないことがしばしばあります。正面からでは「めしべ」が有るのか無いのかさえも分からないほどです(写真左)。少し横から眺めますと、柱頭の十字架がほとんど開いていないか(写真中)、あるいは半開きになっている(写真右)ことが分かります。これらの柱頭は時間が経てば開くのか、あるいはこのままで終わるのか分かりません。
面白いのは萼の形で |
夕化粧は謎の多い花です。名前からして夕方咲く花という感じがしますし、ネットでも夕方咲いて朝しぼむとあります。それを受けて私も2年前に夕化粧のことを書いた時は、夜咲くとしました。しかし昼間咲く、あるいは昼も夜も咲くと記しているものもあります。また夜、昼いつ咲くにしても、花は1日だけで終わる一日花なのか、あるいは2、3日もつのか、それさえはっきりしません。
そこでまず花は夜咲くのか、昼咲くのかという問題です。下の2枚の写真をご覧ください。左はある日の夕刻、右は翌日早朝に撮影したものです。夕方には、画面右下方の黄矢印で示した花を除き、ほとんどの花はしぼんでいますが、翌朝には見事に咲き揃っています。さらにいろいろの場所で何日も観察したところ、花のしぼむのは、夕方というよりもまだ陽の高い午後2時か3時を過ぎる頃でした。また、ここに掲載した花の咲いている夕化粧の写真は、ほとんど午前10時前後に撮影したものです。すなわち夕化粧の花は早朝から午前中咲き続け、午後になると早々に閉じてしまいます。
次に一日花かそれ以上咲くのかという疑問です。上の写真をもう一度ご覧ください。もし一日花であれば、翌朝咲いた花はすべて新しい蕾が開いたことになります。すると前夜に見られたしぼんだ花がもっと多く残っていても良いと思うのですが、余り見られません。さらに上の写真の右下の部分を拡大して細かく調べてみました。まず翌朝開いた花のうち青矢印で示した2個の花をご覧ください。前日夕方の写真を見ますと、上の花は新しい蕾のようですが、下の花はしぼんだ花のように見えます。また赤矢印は、前夜も翌朝も萎んだままの花です。一方黄矢印は、前夜夕方になっても開いたままの花で、翌朝にはしぼんでいます。「夕化粧は確かに昼咲くが、夜咲くものもある」と云うのはこのような花を指しているのではないでしょうか。
そこで私の推論です。「翌朝開く花は午後になると早々にしぼみ、翌朝の開花を待つ。一方夕方遅くまで咲く花は、翌朝には萎んでしまい、そのまま開かずに終わる」もちろん、もっとたくさんの花を、しかもきちんとマーキングして観察しなければ結論は出せませんが、私には一日花ではないような気がしてなりません。日本帰化植物写真図鑑第2巻増補改訂版(植村修二他編著、全国農村教育協会2015)によれば、次のように 記されています。「5月から6月にかけてユウゲショウの新しい花は、未明の4~6時頃開いた。しぼむ時刻にはばらつきがあったが,夕方6時から8時が多く、7月に入って暑くなると早くなった。ごく少数ではあるが、夕方しぼまず翌日午後まで開いていたものもあった。ユウゲショウは、ほとんどが未明から夕方までの一日花といえる」。しかし「年間でみると平均的には2日花で、これには日中の日光量や気温などが関係する」とする報告もあると追記しています。
身近な花でありながら、その生態が十分に解明されていないということが、まだまだあるのですね。
さて夕化粧と云えば、湯上りのイメージです。 |
「てんかふ」とは漢字で天花(爪)粉と書き、正式には「てんかふん」と読みます。キカラスウリ(黄烏瓜)の根にあるでんぷんを粉にしたものです。津市で育った私たちには「てんかふ」で通っていましたが、「てんかふん」と呼んでいた地方もあるそうです。あなたの地方では如何でしたか。江戸時代の昔から使われて来た「でんかふ」ですが、今はほとんど見かけなくなりました。
夕化粧と云うと、湯上りに化粧する女性像を想い浮かべる人も多いと思います。古今東西数多の画家が風呂上りに化粧する女性を描いていて、数々の名作も生まれています。ネットで調べても、余りにも多過ぎて戸惑ってしまいます。そこでその中から二人の画家の作品を紹介したいと思います。
一人は、明治から大正時代にかけて活躍した日本画家、橋口五葉(1880または81~1921年)です。鹿児島に生まれ、19歳の頃画家をめざして上京し、東京美術学校を卒業しました。雑誌「ホトトギス」の挿絵を描いていたこどなどから漱石と知り合い、「吾輩ハ猫デアル」から「行人」まで漱石の著作の装丁を担当しました。その他数多くの作家の作品の装丁を手掛け、装丁画家とて名を成します。35歳頃より木版画の制作に取り組み、同時に北川歌麿などの版画の研究に打ち込んで多数の美人画を描き、「大正の歌麿」と称せられます。 「髪梳ける女」は1920年、死の前年に描かれた木版画で、湯上りの若い女性の髪を梳く姿が美しく描かれています。
もう一人は、フランスの画家ピエール・ボナール(1867~1947年)です。印象派後期のナビ派に属し、色彩の美しい画家の存在を知ったのは、高校時代です。今は故人となった画家志望の親友がいて、大のボナール・ファンでしたので感化されました。ボナールの絵の素晴らしさは、何といってもその色彩の美しいことにあります。平面的な構図に穏やかな色調を組み合わせて描かれるボナールの絵画には、一種独特の調和があり、見る者に不思議な安堵感を与え、幼い頃の記憶が蘇って来るような懐かしさを感じます。ボナールは、ナビ派の中でも特に日本絵画の影響を強く受け、「日本かぶれのナビ派」と称されたほどでした。平面的な画法もその一つですし、掛け軸や屏風絵を模した極端に縦長の人物画も描いています。もデルはほとんど妻のマルトということですが、彼女が無類の入浴好きだったため、浴室での情景を描いた絵が多いそうです。
19世紀後半から20世紀前半、産業革命により世の中がどんどん変化し、いわゆる「世紀末」と呼ばれた不安と期待に満ちた時代に生きたボナール、妻や家族の一瞬一瞬の美しい姿をキャンパスに封じ込めるように、やわらかな色彩で描き続けました。
さて病院の話題です。今回は、昨年末に改修工事の終わった西棟3階に開設されましたキッチンスタジオについて、栄養管理部の管理栄養士である石咲朋子さんに紹介していただきます。
高血圧や糖尿病などの患者さんにおいては、食事療法が大切なことは云うまでもありません。患者さんはもとよりご家族の方にとっても、家庭での毎日の食事をどのように計画し調理するかは大きな問題です。そのために栄養指導が行われていますが、講義だけの指導しかできません。管理栄養士の指導のもとに、患者さんやご家族の方が実際に調理し一緒に試食していただくことにより、治療食に関する理解が深まり、家庭でも簡単に作れるようになるものと期待されます。
そこで桑名市総合医療センターでは、調理実習の場を提供するために、病院としては珍しいシステムキッチンを整備したキッチンスタジオを開設しました。そのオープニングを記念して、1月18日にはミシェランガイドで一つ星に輝いた桑名市内の寿司店「平和寿司」の女将さんをお招きし、高血圧の患者さんやご家族の方を対象に減塩鮨の調理実習をしていただきました。
また4月22日(月)には、今年度第1回目の糖尿病教室が開催されました。たくさんのご応募をいただき、10日前に申し込みを締め切らせていただくなど大盛況でした。今回は「糖尿病食事療法の基本」をテーマに医師、看護師の講義と、管理栄養士の実技指導の後に、参加者はグループごとに盛り付け実習があり、その後一食分の試食が行われました。
簡単に美味しく食べる |
参加者からは「糖尿病患者食はあまり食べられないと思っていたけど、なかなか量があって食べ応えがある(70代女性)」「野菜がたくさん入っていていい。特に沢煮椀の野菜が細かく切ってあってすごい(70代女性)」「ナムルが気に入った。家で早速作ってみる(50代男性)」等の意見が聞かれました。参加者同士の会話も盛り上がり和やかなひと時でした。
当センターでは、糖尿病教室のほかに「減塩教室」「肝臓病教室」「嚥下教室」などを定期的に開催しております。その詳細な日程など、ご質問がありましたら、気軽にスタッフにお声掛けください。問合せ先は、桑名市総合医療センター栄養管理室(TEL 0594-22-1291)です。一人でも多くの皆様のご参加を心よりお待ち致しております。
掲載致しました橋口五葉の木版画およびボナールの油彩画2点は、それぞれ町田市立国際版画美術館とオルセー美術館のホームページからダウンロードしました。
平成31年5月
桑名市総合医療センター 竹田 寛 (文、写真)
竹田 恭子(イラスト)